(説教要旨)
「天の国のたとえ」
〈マタイ福音書13章44~52節 〉
今朝の箇所がある〈マタイ福音書13章〉には、譬え話が続いています。何のたとえなのか。「天の国」の譬えです。
天の国がどのようなものであるのか、イエスが説明をしているのです。
天の国(天国)とは、死後の世界のことではありません。天の国の言葉は、口語訳聖書では「天国」と訳されていました。しかし、天国という言葉が死後の世界という意味で使われるようになってしまったので、現在の共同訳聖書では、天国と訳さすに天の国と訳したのだと思います。天の国とは、歴史の到達点、神様の全き支配が始まる、終末の世界のことです。
真理と正義と公平と平和。わたしたちの現実に欠乏し、わたしたちが切に願っているものが現実のものとなる、その世界のことです。
天の国のたとえは、〈マタイ20:1~16〉のぶどう園の労働者の譬え話のように、ユダヤ社会の理想を示す場合があります。仕事量に応じて富が分配されるのではなく、必要に応じて富が分配されるような社会。そんな社会になれば良いなあ。それは、聖書が描く理想であり、未だに実現されてはいませんが、わたしたちが抱き続ける必要がある理想です。
今朝の箇所においては、畑に宝をみつけた人は、その持ち物を全部売り払って畑ごと買い取ると書いてあります〈44節〉。次に良い真珠を探している商人が登場し、その人もそれを見付けたのなら、その持ち物を全部売り払って買い取る〈45,46節〉と書いてあります。他のすべてを失ってでも手に入れたくなるようなもの。それが天の国だ、と。
田川健三は、天の国はこのようなものだと譬え話で説明するイエスの姿を「冷酷な現実よりも、意識の方が過大になって、喜びにあふれてつっ走る」姿だと表現しています。(『イエスという男』p.328)。わたしたちの現実はどれほど冷酷なものなのか、それは良く分かっている。しかし、今や、天の国が迫りつつある。その神の現実に生きよ。イエスはそう言いたいのだと思います。
こうなるとつき合うほうは大変です。〈13章〉の終わりには、イエスは故郷ナザレでは受け入れられなかったと書かれています。ごく少数の者がつっ走るイエスについていけたのでしょう。
最後に、〈47節以降〉は、イエスは一体誰に語りかけているのかが分かる箇所です。〈49節〉にある「正しい人々」という言葉、先週紹介した石川立先生の「『正しき者』とは、品行方正の人のことではなく、貧しい人、虐げられる人、飢えた人、寡婦、寄留者、孤独な人、捕らわれ人、うずくまる人、病人のこと」という理解から、イエスは誰に、何のために語られているのかが分かると思います。
最後に、〈ルカ福音書〉においてもイエスがナザレで受け入れられなかったと書かれてある〈4:16~19〉の箇所を読んで話を終えたいと思います。
(説教要旨)
「マギたちを導いた星」〈詩編1篇 〉
今朝は公現主日です。公現日は1月6日ですが、その前の日曜日に公現主日として礼拝を守ります。
クリスマス・ツリーの上にマギたちが導かれた星を飾り、礼拝後にツリーを片付けます。
1月6日は、12月25日がクリスマスと定められる前に、イエスの洗礼と誕生を祝う日でした。
世界中のキリスト教会各派が集合するベツレヘムを例に取ると、12月25日にはカトリックや聖公会など西方教会によってクリスマスが祝われます。1月7日にはギリシャ正教会・コプト正教会・シリア正教会など東方教会の多くによってクリスマスが祝われます。
「東方教会は1月7日からクリスマスを祝う」と言われますが、それは間違いです。グレゴリオ暦(1582年、ローマ教皇グレゴリウス13三世が制定した太陽暦。日本では明治5年(1872年)に採用)とユリウス暦(これは古い。古代ローマのユリウス・カエサルが、紀元前46年に制定)のふたつが存在していだけの理由です。
カトリック・聖公会・プロテスタント教会が、日本のわたしたちと同じグレゴリオ暦を取っているのに対し、ギリシャ正教会・コプト正教会・シリア正教会など東方教会はユリウス暦を取っているから、わたしたちの暦(グレゴリオ歴)では1月7日にクリスマスが祝われるということになりますが、その日というのはユリウス暦で言えば12月25日なのです。
さらに、1月19日(ユリウス暦1月6日:神現祭の日)にはアルメニア使徒教会によって、キリストの降誕と洗礼が同時に祝われます。つまり、アルメニア使徒教会が最も古い教会の伝統を維持していることになります。
現在、なぜグレゴリウス暦1月7日、ユリウス暦12月25日にイエスの洗礼を祝わないのか。それは、「イエスはいつからメシアになったのか」という論争が325年の第一ニケア会議で「生まれた時から」と決着が着いたからです。
さて、間違えてヘロデ王の宮殿に行ったマギたちは、なぜ星に導かれてイエスの所に行くことが出来たのか。
今日は、〈詩編1篇〉を読んでみたいと思います。この箇所の〈6節〉にある「神に従う人」「神に逆らう者」とはどのような人たちなのか。
『詩編を読むために』で石川立先生はこう書かれています。「詩編とは、その多くが社会的弱者の立場で歌われたものであり、150編全体はその立場から編集された詩集なのです」
「とこしえにまことを守られる主は虐げられている人のために裁きをし、飢えている人にパンをお与えになる」〈146:6,7〉「しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる」〈146:9〉と書かれている〈詩編146篇〉については、「『正しき者』たちは蔑みや抑圧に苦しめられている。これが実態であったと考えられます」「『正しき者』とは、品行方正の人のことではなく、貧しい人、虐げられる人、飢えた人、寡婦、寄留者、孤独な人、捕らわれ人、うずくまる人、病人のことです」と書かれています。
神は強いところー権力があり、お金があるところにではなくー、弱いところに働かれます。
神は、はっきりといじめる側にではなく、いじめられる側に立っておられます。
詩編はいじめられる人たちの側に立って書いているのです。いじめる者を「神に逆らう者」「罪ある者」と言い表し、「神に逆らう者の道は滅びに至る」と書いて、いじめられる者を励ますのです。
わたしたちの現実は、正しき者たちは蔑みや抑圧に苦しめられています。しかし、わたしたちはこの年も主にある希望に生きたいものです。
(説教要旨)
「クリスマスには」
〈ヨハネ福音書1章14~18 節 〉
今朝の話の最初は、クリスマスがなぜ12月25日になったのかの豆知識ですから、気楽に聞いてください。
世の中は12月25日でクリスマスが終わったかのような雰囲気になりますが、降誕節(クリスマス)は12月25日から始まります。そして、1月6日の公現日(エピファニー;マギたちがイエスを訪れた日)まで続きます。
イエスが誕生した日付は聖書に書かれていません。最初のキリスト教会では、イエスの十字架と復活は強く意識されて、復活祭(イースター)は祝われていましたが、誕生日を祝ったのか、はっきりと分かりません。
ではなぜ12月25日がイエスの誕生日と決められたのか。なぜ1月6日まで続くのか。
クリスマスが祝われたことが書かれている一番古い記録は2世紀のものです。(これについては来週もう少し詳しくお話します)。クリスマスはエジプトのアレキサンドリアで1月6日に祝われていました。これが東方の正統教会全体の習慣となって行きました。
イエス誕生の日付が12月25日となったのは4世紀のローマ帝国が東西に分裂する395年の直前のローマでのことです。ローマ皇帝のコンスタンティヌスが336年頃にそう決めたのです。
当時ローマ帝国では太陽を崇拝する大勢力ミトラ教が冬至に当たる日(12月25日)に太陽を祭る大祭を行っていました。
ローマ皇帝はこの日をキリスト教の祝祭日と定めたのです。極めて政治的判断でクリスマスは12月25日と定められました。
この時、東方正統教会に在ったアウグスチヌスは、これについて「西のキリスト教徒は太陽を拝むようになった」と揶揄して「教会は太陽ではなく、太陽を創られた方を拝むべきである」と書いています。
こういうクリスマス日付決定の経緯を知ると「クリスマスはいつ祝ってもよいのではないか」という気持ちになりますが、肝心なのは、神様がそのひとり子であるイエスをこの世に遣わされたその意味です。
今朝の聖書箇所の最後には「いまだかって神を見たものはいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示された」と書かれています。ヨハネ福音書のイエス理解です。
youtubeに、アメリカ人たちに街頭で「イエスってどんな人」という質問をする映像がありました。①気にかけてくれる人 ②ああ、いい奴だよ ③一緒に悲しんでくれ、幸せな気持ちにさせる人 ④あ、彼のことは好きよ ⑤おれをまっすぐにするために、今のおれには必要なんだ ⑤イエスのこと?個人的に答えたいのでどこか別の場所で、など。
それぞれにイエスはどんな人か、豊かな、親しみを込めたイメージを持っています。
イエスはわたしたちに神の豊かなイメージを与えてくれます。わたしたちにとってイエスはどんな人?
ヨハネによる福音書は3章 16節で
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」
と書いています。Mルターはこの箇所を「小聖書」と呼びましたが、この箇所もヨハネによるイエスのイメージです。それは神がどんな方であるかを言い表しています。
イエスがこの世に遣わされたことによって、わたしたちは神がどんな方であるかについて、豊かなイメージを持つことができるようになったのです。
神が共にいて下さることに感謝して歩みたいものです。
(説教要旨)
「闇に輝く」
〈マタイ福音書2章 1~12 節 〉
マタイ福音書の降誕物語は、闇に輝くひとつの光を記録しています。この光は「救い主なのだから、その方は政治権力の中枢に居られるのだろう」と間違ってヘロデ王の宮殿を訪問したマギ(星占い)たちを本当の救いの場所、イエスのところに導く役目を果たします。
光は闇の中でこそ輝きます。マギたちにとってその星は、闇の中枢に飛び込んだ自分たちを救い出し、真理に導く光だったのです。その闇とは何か、わたしたちが待降節(アドベント)の期間に強く自覚したように、この世の闇、そして自分自身の闇です。
救いは中からではなく、外からやってきます。しかし、闇を見つめていなければ、その輝きには気が付かないのです。
イエスの降誕物語は、もうひとつのイエスの受難物語です。 神が「外からの」光を闇の中に与えてくださった。十字架につけられ葬られ陰府に下られたイエスがよみがえられたように、神がわたしたちに星を輝かせて「ほんとうの救いはここです」と示されるのです。
クリスマス・ツリーは、クリスマス・イヴに教会の前で失楽園の劇を演じる習慣があった16世紀のドイツに起源があります。〈創世記2:17〉にある「その木の実を取って食べるな」と神に命じられた実を食べたことが人間が最初に犯した罪だと理解されていて、人々はその劇の唯一の舞台装置であったモミの木と実(おそらくはりんご)を家に持ち帰り、自分たちの罪を自覚したのでした。 今年、シシリア島の司教が「サンタは居ない」と発言して地元の教区が「子どもたちをがっかりさせて申し訳なかった」と謝罪する事件がありました。でも教区の謝罪文には「司教は本当のクリスマスの意味を伝えたかったのだ」と弁明してこう書かれています。「司教はますます商業化が進むクリスマスの、本当の美しさを取り戻そうとしたのだ」。
16世紀のドイツの人々が、家にクリスマス・ツリーを飾り始めた時、ダンハウワーという神学者は「人々は異教の習慣を家に持ち込んだ」と眉をひそめました。しかし、人々の習慣は神学者たちに勝ちました。クリスマス・ツリーは今や世界中に飾られています。
日本で最初に街頭にクリスマス・ツリーが飾られたのは1885年に横浜で開業した明治屋でした。1900年に銀座に進出して街頭にツリーを飾り皆に知れ渡りました。これは「クリスマスはビジネスチャンスだ」と思ったのかもしれません。
クリスマス・ツリーをなぜ飾るのか。いつから飾るのか。わたしは16世紀のドイツの伝統、即ち失楽園の物語を思い出し人間の罪を自覚する16世紀以来の伝統に従いたいと思います。
罪の自覚だけでは、わたしたちは暗く沈み込むだけです。しかし、その時、神は闇に星を輝かせ「本当の救いはここです」と行く路を示して下さるのです。
(説教要旨)
「ハンナの祈り」
〈サムエル記 上 2章 1~10 節 〉
聖書日課は、今朝、待降節(アドベント)の第3週に入ろうとするわたしたちにハンナの祈りを読ませようとしています。ハンナは長く子どもを授かるよう願っていましたが、その願いが叶ったので神に感謝の祈りを捧げています。
その子の名前はサムエル。彼は、イスラエルが12部族連合の体制から統一王国の体制に突入する時代の最後の士師であり、祭司でした。彼の晩年にはイスラエルの民は王政を望みます。サムエルは王政というものは、男子を徴兵し、女子を徴用し、税金を徴収し、人々が王の奴隷となる制度であることを説きましたが〈上サムエル8章〉、民はそれを受け入れず、サウルを王として立てました〈上サムエル9章〉。
民に「王を立てよ」と迫られるサムエルが神に祈り、神が答える面白いやりとりがあります。神は民の王を立てよとの要求は「わたし(神)が彼らの上に王として君臨することを避けた、神を捨てる行為なのだ」〈上サムエル8:7~9〉とサムエルに答えます。つまり、民の「王を立てよ」は、神が自分たちを救済されるのなら、そのしるし(目に見える証拠)として王が欲しいということなのです。
たしかにサムエルの時代は、外敵との戦いが続き、敗戦し(「勇士の弓は折られ」〈2:4〉〈上4:1-7:1〉)、国内は富める者と貧しい者の両極が存在しています〈2:5~8〉。これは紀元前11世紀に終わった話ではなく、この暗闇は、今に至るまで続いているのだと思います。今見つめなければならない暗闇なので、聖書日課はこの箇所をわたしたちに読ませているのです。
ハンナの祈りは、このような状態の逆転を願っています。その逆転を成すことができるのは誰なのか。この世の王か?軍事力か?金か?これらが神の救いのしるしなのか?
ハンナは、わたしたちの歴史は神が支配される〈2:4~8〉と信じ、「命を絶ち、命を与え、陰府に下し、引き上げて下さる」〈2:6〉神が、「弱い者を塵の中から立ち上がらせ貧しい者を芥の中から高く上げて」下さると信じているのです。
ハンナの祈りは〈ルカ1:46~55〉のイエスの母マリアの讃歌に引き継がれます。マリアは「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返される」と歌います。
わたしたちはハンナのように、マリアのように、わたしたちの歴史は神が支配されると本気で信じているでしょうか。神はイエスの降誕によってわたしたちの祈りに応えようとされています。
(説教要旨)
「ザカリアの沈黙」〈ルカ福音書 1章 68~79節 〉
今朝の箇所は、バプテスマのヨハネが生まれた時に父親のザカリアがした預言です。
歴史は有名な一人の活躍によって進むのではなく、無数の無名の人々の努力の積み重ねによって進むのだと思います。
1940年代のアメリカ。アラバマ州モンゴメリーのデクスターアベニュー教会にヴァーノン・ジョーンズという黒人牧師が赴任しました。彼は、黒人差別の現状に甘んじている教会員に苛立ちを隠せません。彼の説教は時として過激なものでした。過激すぎて警察に逮捕されるほどでした。
白人警官による若い黒人女性のレイプが起き、ジョーンズと白人たちとの対立は頂点に達します。そんな中、教会でジョーンズ牧師を支えていた友人が警官によって射殺される事件が起きました。教会役員会は、事件はすべてジョーンズの説教が原因であるとして、彼を解任することにしました。教会役員はジョーンズ牧師にこう言います。
「後任はすでに決まっています。若くて優秀な牧師です」
部屋のドアが開いくと、その「若くて優秀な」牧師が立っています。
「こんにちは、マルチン・ルーサー・キングです」
ヴァーノン・ジョーンズ牧師は、マルチン・ルーサー・キング牧師のその後の歩みを準備したとわたしは思うのです。
ルカ福音書は、不思議にバプテスマのヨハネについての配慮を見せています。この福音書の最初は、彼の誕生物語で始まっています。ルカ福音書において〈2章〉から始まるイエスの誕生物語は21節ありますが、〈1章〉にあるバプテスマのヨハネの誕生物語は24節も割かれています。
ルカ福音書続編である使徒言行録には〈18:24~28〉で、コリント教会のパウロの後任者アポロは以前ヨハネの弟子であったと書かれてあり、〈19:1~7〉では、パウロは小アジアのエフェソでバプテスマのヨハネの弟子たちのグループと出会ったことが書かれています。『ヨハネによる福音書』1章35節では、他の福音書でもイエスの最初の弟子としているシモン・ペトロとアンデレは、元は洗礼者ヨハネの弟子であったとしています。
『ヨハネによる福音書』1章35節では、他の福音書でもイエスの最初の弟子としているシモン・ペトロとアンデレは、元は洗礼者ヨハネの弟子であったとしています。
そして、福音書はこのグループをキリスト者たちの敵対者としては描いていません。ルカ福音書はイエスの母マリアとヨハネの母エリサベトは親戚であったと書いているので〈ルカ1:36〉イエスとヨハネは親戚であることになります。
今朝から待降節(アドベント)の第2週が始まります。先週の週報で書いた通り、待降節は悔い改めの期間です。悔い改めとは神に向きなおることです。どうやって向きなおるのか。それはわたしたちの世とわたしたち自身の闇にしっかりと目を向けることに拠るとわたしは思います。
今朝のザカリアの預言には、〈78節以下〉に神の憐れみの心が書かれ、それは「高い所からのあけぼのの光」であり、その光が「暗闇と死の陰に座している者たちを照らす」と書かれています。勇気を出してわたしたちの世とわたしたち自身の闇にしっかりと目を向けるならば、わたしたちは落ち込み、座り込み、停滞するでしょう。しかし、その時に高い所から光がわたしたちに差し込むのです。神からの憐れみです。
落ち込み、座り込み、停滞することは在って良いと思います。あるいは必要なことであると思います。ザカリアの記事においてはそれは彼の沈黙(口がきけなくなること)によって表現されています。彼が口をきけなくなったのは、彼が天使ガブリエルに「わたしに子どもが生まれるという神の恵みのしるし(証拠)を見せよ」と要求したからです。
わたしたちも神の恵みのしるしを乞う者です。「おお神よ、何かそのしるしを見せてください」。
神がわたしたちに下さるしるし、それは、わたしたちが雄弁に語ることができなくなる沈黙というしるしかも知れません。でも、それはアドベントの過ごし方として相応しいのではないかとわたしは思うのです。
(説教要旨)
「ものを言い始める」
〈マタイ福音書9章32~34節 〉
べてるの家は、大学を卒業して浦河日赤病院にソーシャルワーカーとして赴任した向谷地良生さんが佐々木実さんたちと一緒に浦河教会に住み始めたことから始まります。
45年前のことです。佐々木実さんは今年10月には80歳になるという9月10日に永眠しました。
わたしは京葉中部教会に赴任するまでの3年間、浦河教会の代務者をしていました。佐々木実さんは、何回教会役員会を開いても会議中まったく発言をしませんでした。
あまり発言をしないので、「実さんはどういう意見ですか」と訊いたことがありました。すると実さんは「障碍者は意見を言わない方が良いと思っております」と言われました。ショックでしたが、それまでの実さんのこの社会での歩みを一言で言い表したのだと思いました。
一番最初に浦河教会の礼拝に出席した時、奏楽者の雅子さんが「いやあ、間違ったらごめんね~」と言いながら奏楽を始めました。その日のことではありませんが、説教中に天国の話をしていると、早坂潔さんが急に立ち上がって「俺も天国に行けるのか?」と大きな声で訊いたことがありました。(「もちろん行けるよ」と答えました)
大抵の教会では、説教者と司会者以外は礼拝中に何か言うことは控えて静かにしているのですが、浦河教会の礼拝は違うのです。
聖書には「悪霊にとりつかれた」と書かれてある人がたくさん登場します。なんらかの精神的疾患のある人のことをそう表現したようです。「悪霊にとりつかれた」という表現には「神様に祝福されていない」「神様に反逆している」という意味があります。
イエスはそれらの人々をどう見ていたか。イエスは「あなたこそ神様に祝福されている」「あなたこそ神様と共に在る」と思われていたのです。
イエスは、聖書には「罪人」とされているさまざまな病気の人に出会います。そして、その病気が癒されます。目の見えない人は目が見えるようになり、歩けないひとは歩けるようになります。本当に病気が治ったのか、確実なことは分かりません。でも、確実なのは、イエスはその人をその人として尊敬し、その人はイエスに出会って人間としての尊厳を回復したことです。それが「目が見えるようになった」「歩けるようになった」という表現になっているのです。
浦河教会の礼拝は、一般的な教会のようすに照らし、めちゃくちゃかもしれません。しかし、「これが本当の教会なのかもしれない」と思うことがよくあるのです。
イエスに招かれた「罪人」たちが、喜びに満ちて集まっている。そんな場面に出会うのです。
(説教要旨)
「わたしは何ものであるのか」
〈フィリピの信徒への手紙3章 5~11節 〉
「わたしは何ものであるのか」。それを示す方法として名刺があります。名刺を貰った人はその人の肩書は覚えていますが、名前はほとんど覚えていません。
名刺を必要としない場面。例えば、田んぼの道端で出会った人とのなにげない世間話。とっても楽しい出会いの場面です。名刺に書いてある内容は外面的なもので、「わたしは何ものであるか」を示すことはできないと思います。
Dボンヘッファーは、「教会は他者の為に存在して始めて教会である」と言いました。言い換えて「人間は他者の為に存在して始めて人間である」と言えるかもしれません。しかし、それは「わたしは如何に有益であるか」を示すものにすぎません。(人間をキリスト者と置き換えた場合は、最後に書きます)
名刺の内容で自己紹介し、自己理解をしているのでは今朝、〈3:7〉で「わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになった」、〈3:8〉で「それらを塵あくたと見なしている」と言うパウロが伝えようとしていることは、理解不可能です。
パウロは自分の内面を問題にしたのだと思います。パウロは、もはや、自分が生まれながらのローマ市民権を持ち、タルソスの富裕なユダヤ人家庭出身であったこと、高僧パリサイ派ガマリエルの門弟であったことなどは「塵あくた」〈3:8〉と見なしているのです。
〈3:8,9〉にある「キリストを得、キリストの内にいる者」は、パウロの神秘主義(人間が自己の内面で直接に神(絶対者)を体験しようとする主義)を示していると言われています。これは体験的にしか表現できぬ、言葉化するのはとても難しい内容であると思いますが、「キリストを得、キリストの内にいる」とは、神との合一であり、それは必然的に自己からの脱却を意味します。その体験において、我々が普段“自己”(これがわたしである)と信じているものは、キリストの前に吸収されつくして無になり、キリストが真の自己の根拠になります。
では、”自己”は消滅してなくなってしまうのか。ここからが面白いところです。
パウロは、今朝の箇所の結論で「何とかして死者の中からの復活に達したい」と書いています。
キリストが死者の中から復活したように、わたしも復活すると言うのです。パウロが言う「死者」とはキリストを知る以前の「塵あくた」と表現した自分です。パウロは今生きています。そして、イエスがしたように「他者の為に存在して始めてキリストである」生き方をしたいのです。パウロはそれを「復活に達する」〈3:11〉と表現したのです。
(説教要旨)
「神の国に入る者」
〈 マタイ福音書21章28~32節〉
神の国とは、先週「聖書に言う我々の世界とは、空間だけではなく時間の概念をも包摂する。過去・現在・将来がひとつの世界を形成している」と説明しましたように神の国とは永遠の今に在る神の全き支配の国です。神の国は「いづれやってくる」というような将来的時間で予測できるものではありません。神の時は、過去・現在・将来という区別が付けられない時です。
ですから、「神の国に入る」〈31節〉とは、将来入るという意味ではなく、死後入るという意味でもなく、先週と同じく「今、どうするか」に係わる問題なのです。
「葡萄園に行く」とは「神の国に入る」という意味です。最初に登場する二人の息子。長男は父(神)に葡萄園には行かないと言い、あとで思い返して葡萄園に行きます。次男は「承知しました」と返事をするのですが、葡萄園行きを実行しません。
この譬え話は、〈23章〉にある律法学者とファリサイ派たちへの痛烈な批判を思い出させます。イエスは言います。「だから彼ら(律法学者とファリサイ派)が言うことはすべて行い、守りなさい。しかし、彼らの行いは見倣ってはならない。言うだけで実行しないからである」〈23:3〉
〈21:31〉では、イエスは「徴税人や娼婦の方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう」と言われます。ここにある「あなたたち」とは「祭司長や民の長老たち」〈21:23〉です。〈23章〉の律法学者やファリサイ派と同じく「はい」と返事が良いだけで実行をしないからです。
祭司長や民の長老たちは「信仰深い人々」とされていました。(A.D.80年頃の福音書の記者が直面していたのは「律法学者とファリサイ派」でしょう。祭司長や民の長老たちはA.D.70年のユダヤ戦争後、エルサレム神殿やユダヤ社会が崩壊したので姿を消しています)
徴税人と娼婦たちは、「神に罰せられるべき罪人」とされていました。 祭司長・民の長老たちと徴税人・娼婦たち。どちらがその社会に居場所があったか。どちらが信仰深く見えたか。
しかし、イエスは、この世の常識的な見方をはしません。
神は、群れから離れて迷う一匹の羊を探されます。失われた銀貨を探されます。家から居なくなった息子が帰ってくるのを待ち続けられます。〈ルカ15章〉
祭司長・民の長老たちと徴税人・娼婦たち。イエスはどちらが居場所を失っているのかが分かっていました。どちらが先に悔い改める(居場所に戻ってくるのか)がわかっていました。
イエスは「ここがあなたがたの居場所だ」と人々を招かれるのです。「いや、いいです」と言いながら後で思い返して葡萄園に出かける。それがわたしたちではなかったでしょうか。
(説教要旨)
「タラントンのたとえ」
〈 マタイ福音書25章14~30節〉
今朝の箇所の書き出しは、「天の国はまた次のようにたとえられる」です。「天の国=天国」という言葉は〈マタイ福音書〉に独特の用語であり、他の福音書においては「神の国」となっています。マタイ福音書はユダヤ人に向けて書かれました。後期ユダヤ教では「神」という言葉に替えて「天」という言葉が用いられたのです。
「天」(ギリシャ語でウラノス)は神の居場所です。ウラノスの意味は「水の場所」「上空の海」で、わたしたちが言う、上空、天に神は居られると考えられたのでした。
しかし、天の空間的な位置を説明しただけでは、天国の説明は足りません。聖書においては「我々の世界」と言った時に、空間ばかりではなく、時間も意味するのです。
わたしたちは、アブラハム・イサク・ヤコブのような過去の人たち、そして、未来の人たちとひとつの世界を形成している。それが聖書の世界観なのです。
未来の人たちとは誰か。神の全き支配の時、即ち終末の時に、すでに天国(神の国)に在る人たちのことです。「天国でまた会いましょう」とは、そのような意味であって、わたしたちは同時に天に在る人たちと、今、ひとつの世界を形成しているのです。
亡くなった人の行先を空間だけで理解すると、それは黄泉(よみ;シェオール)だということになります(使徒信条;(イエスは)死にて葬られ、黄泉(よみ)に下り、3日目に甦り)。
亡くなった人の行先を時間で理解すると、それは神の全き支配の時、終末の時です。
わたしたちは神の全き支配の時、即ち終末の時を信じるのか、それが問われるのです。
そして、わたしたちは、その「時」を信じて、今、どう生きるかが問われるのです。
今朝のタラントンの譬え話は、次に続く「ディアコニア(人に仕える)憲章」と呼ばれる箇所と一体となっています。タラントンとは英語で言うギフト、贈り物、能力の意味ですが、今朝は金額で表されています。1タラントンとはわたしたちの20年分の給料額で、3人のうち一番少なくお金を預かった人でも20年分の給料額を預かったことになります。
この譬えは、神からの預かったギフトを、土の下に埋めて置くのではなく、充分に活用すべきことを教えています。「わたしのギフト(能力)は、あまりにも控え目です」と言う必要はありません。今朝の譬えは、あなたがたはどんなに少なくとも、神から1タラントンのお金(能力)を預かっていると言っているのです。そして、その能力を「もっとも小さい者のひとりの為に使って神に仕えよ」〈マタイ25:40〉と勧めているのです。
(説教要旨)
「流浪の民の歴史」
〈 詩編105篇〉
わたしたちは自分の人生や人格について関心を持っています。そして、神と個人的対話あるいは対決をします。同時に、主語を「わたし」から「我々」に替えて、「わたしたちはどこから来て、どこに行き着こうとしているのか」、つまり歴史的な考察をします。
今朝の詩編は、礼拝中に朗誦されたものです。わたしたちは、歴史を学校で習い、いろいろな本を読み記憶していますが、イスラエルの人々は自分たちの歴史を礼拝中に心に刻みました。朗誦される歴史は、徹底して神が行為者として描かれています。
礼拝中に人々が記憶する歴史は、わたしたちが聖書に読むその内容です。会衆は「主の僕、アブラハムの子孫よ」〈6節〉と呼びかけられます。〈7~11節〉は、創世記で読むアブラハム・イサク・ヤコブが登場し、その契約「カナンの地を嗣業として継がせよう」との契約が覚えられます。〈16節〉以降は、創世記の後半を占めるヤコブ(イスラエル)の子ヨセフの物語が覚えられます。実際の歴史では、カルデア(バビロニア)のウルを出発したアブラハムそしてイサク・ヤコブたちとは、バビロニアから肥沃の三日月地帯を移動してパレスチナに行き着いたアラム系の人々の大移動のことです。イスラエルの人々(即ちヤコブの12人の子)は紀元前12世紀頃に細々とパレスチナの山地に定着し始めたのでした。
〈16~24節〉のヤコブの12人の子のひとり、ヨセフの物語はヨセフ部族だけがエジプトに下り、そしてパレスチナに帰還したのでしょう。しかし、この1部族の経験は、主の救いの歴史を覚える中で、イスラエルの全部族が経験したものとして壮大な神の救済物語として覚えられることになります。それが〈25~41節〉までのモーセとアロンが登場する出エジプトの物語です。わたしたちはこれを〈出エジプト〉〈レビ記〉〈民数記〉〈申命記〉で読むことができます。
イスラエル史の概観を掴む礼拝説教は、モーセがカナンの地(パレスチナ)に入る直前で死に、ヨシュアがパレスチナに入ったところまで来ています。
もう一度歴史を確認する為に今朝の詩編を読みましたが、「詩編105篇はなぜこのように徹底して神の行為としての歴史を描いているのだろうか」と思う時に、行き着くのは「この歴史を記憶に刻んだ人々は、自分たちはいかにつまらない存在であるかを自分たちの歴史の中で痛感していたのではないか」という結論です。
「つまらない存在」という言葉は、フランスの第二次世界大戦中に34歳で亡くなったシモーヌ・ヴェイユの言葉です。彼女は、その自覚を強く持っていたカトリック教徒・実存主義哲学者です。そしてその自覚こそが神への従順を導くのだと言っています。
詩編105篇の結論は「主の教えに従え」〈45節〉です。「従う」ことの前提は「信頼する」ことです。
神を信ぜよ。そして神に従え。今朝の箇所は、壮大なイスラエルの歴史、そこに表された神の救いの業を記してそう訴えるのです。
(説教要旨)
「神殿の商人たち」
〈マタイ福音書21章12~17節〉
エルサレムの旧市街を歩くと、通りには市場が続き、商人たちが通りを行くわたしたちに大声で「買ってくれよ~」と叫んでいます。『イエス時代の日常生活』という本を書いたダニエル・ロプスは、この本の中で「イスラエルの末裔が卓越していると思われる一つがあるとすれば、それは、農業ではなく、商業である」と書いています。
ビアドロローサの坂(イエスが十字架を担いでゴルゴダまで歩かれたと言われている道)は、商売を始めようとするお兄さんを小さな弟たちが手伝って荷車を押しています。
皆一生懸命商売をし、その日の生活費をエルサレムの街で得ているのです。
皆、決して言い値で買ってはいけない、例えば、コーヒーのポットを買おうとしたら、その値段の4倍の値段を言ってきます。120シケルだとしたら、「ああ、30シケルくらいだな」と思い、「40シケルなら買う」と言います。そうしたら、「それはないでしょ、こんなよいものを」などと暫くやり取りをして、「じゃ、買うの止めるわ」と立ち去ろうとすると「OK、OK、40シケル」。皆、卓越した商人たちですが、皆、ほんとうに愛すべき、人々です。
「イエスは、彼らの屋台をひっくり返すようなことをするだろうか」。わたしは長い間疑問に思っていました。今朝の箇所は〈マルコ11:15~19〉〈ルカ19:45~48〉〈ヨハネ2:13~22〉と並行記事が多いので助かります。何冊もの注解書で勉強できるからです。
〈ヨハネ福音書〉を除き、〈マルコ〉〈ルカ〉は、イエスの生涯の最後にエルサレムに行かれた時の記事として書かれ、「祭司長や律法学者は、腹を立てた」〈21:15〉とイエス殺害の思いを募らせた事件として書かれています。今朝の箇所においては、子ども、目の見えない人、足の不自由な人はイエスを慕う側として描かれています。
どの注解書を読んでも、「イエスはエルサレム神殿を清められた」というくらいの解説しかしていません。しかし、〈マルコ〉を除き〈マタイ〉〈ルカ〉〈ヨハネ〉が書かれた時には、読者はエルサレム神殿への興味を失っていたはずです。AD70年までのユダヤ独立戦争によって神殿は完全に破壊されています。イエスにもはじめから神殿擁護の気持ちは無かったはずです。
というよりは、福音書の記者たちは、エルサレム神殿について興味を失っているのです。そもそも、もうすでに神殿は消滅してしまっていますから。
さて、話はここからです。
〈21:12〉にある「両替人の台や鳩を売る者の腰掛を倒された」に注目して、「イエスが商売人を追い出したとすれば、こういう理由ではないか」と思うことがあります。それは、先に紹介したダニエル・ロプスが1961年に書いた『イエス時代の日常生活』という本にあるこういう記述からです。
両替人とは、神殿に献げる献金を両替する人のことです。
ユダヤ人は4種類の貨幣を使って生活していましたが、神殿に献げる貨幣は、外国のギリシャのドラクマ、大商業国家であったツロのズジム、ローマのデナリ貨幣ではなく、ユダヤのシケルと決められ、神殿の入口の両替料は10%もの法外なものだったのです。10000円両替したら1000円天引きされていた。この利益率を決めていたのは律法学者たちでした。
鳩は神殿に献げる生贄です。この商売も大きな儲けを得ることができたようです。この商売を監督していたのも律法学者たちでした。
「あの2レプタ献げた婦人は最も多く献げた」〈マルコ11:1~17〉と、砕けた魂を神に献げることを良しとされたイエスは、今朝の箇所で、庶民からぼろ儲けをする祭司・律法学者・両替人・生贄(鳩)売りを相手に「あなたたちは、神殿を強盗の巣にしている」と言われたのです。わたしは、ここにも弱者の側につくイエスの姿を見るのです。
(説教要旨)
「もう滅ぼさない」
〈創世記9章8~17節〉
(今朝は、子どもたち向けにお話をするので、下記の通りにはお話しませんでした)
この「ノアの洪水の物語」〈創世記6章~9章〉は、バビロニアの神話(キルガメシュ叙事詩11章)が原型です。1872年にGスミスによって、この神話の粘土板が発見され、翻訳されました。
聖書には、二つの資料(J資料とP資料)が編集されてわたしたちが今朝読んだ物語となっています。二つの資料の内容には違いがありますが違っているまま保存されています。
例えば、物語の前節、神がなぜ洪水を起こそうと思ったのか。〈6:1~8〉にその理由が書かれ、しかし、〈9節〉に入ると、もう一度その理由が書かれています〈6:9~13〉。洪水の期間が61日間(J資料)なのか、1年と11日間(P資料)なのか、この違いもそのままです。
方舟の大きさはどの位だったのか。〈6:15〉にある「アンマ」という単位は44.5㎝(肘から指の先)なので、長さ133.5m、幅22.2m、高さ13.3mの大きさです。戦艦三笠(131.7m、15,140トン)とほぼ同じ大きさです。方舟はゴフェルの木でつくられ、三階建て。内部に小部屋が多く設けられていました。ノアは方舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを方舟に乗せました。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくし、その後、方舟はアララト山の上にとまります。そこでノアは烏を放ちましたが、とまるところがなく帰ってきます。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。更に7日経って鳩を放すと、鳩はもう戻って来ませんでした。
ノアの洪水物語の原型であるバビロニアの神話を読むと、とても生き生きと書かれてあり、その内容は聖書の物語ととても良く似ています。
しかし、物語の最後の場面で大きな違いが起こります。聖書では、神はノアに向かって契約をするのです。神は「水が洪水となって肉なるものをすべて滅ぼすことはしない」〈9:15〉と約束をされるのです。そして、その約束のしるしとして空に虹を置くのです。不思議なことに〈9:16〉には「わたしはそれを見て」と書かれてあります。神も虹を見てわたしたちとの永遠の契約(約束)に心を留めておられるのです。
もう永遠に滅ぼすことをしない。それは、イエスの十字架においても、わたちたちではなくイエスを滅ぼすことによって実行されるのです。
(説教要旨)
「苦難の共同体」
〈使徒言行録20:17~35節〉
今朝の話は「わたしたちは、一体何のために「働く」(エルガゾーマイ)のか。聖書が言うのは、「朽ちない食物(命のパン=イエス)のために働く」〈ヨハネ6:27〉ということであると思います。」とお話した続きです。聖書は働く目的をどう理解したか、については先週の結論に留めることにして、今朝はパウロは働く目的をどう理解していたかという設問を付け加えます。
今朝の箇所は、パウロがエルサレムに向かうにあたり、エペソの長老たちに決別をする場面です。小アジアの諸教会は、パウロがエルサレムに行こうとするのを必死で止めました。命の危険があったからです。しかし、パウロのエルサレム行の決心は変わりませんでした。
パウロのエペソ教会長老たちの告別説教は(実際、パウロは彼らと二度と会うことはできませんでした)、労働して金銭を得よという意外な展開を見せます。どうしてもエルサレムに行きたい理由が述べられているのでしょう。まず「わたしは他人の金銀や衣服をむさぼった(欲しがった)ことはない」と突然のように言い始め〈20:33〉、わたしは自分自身の為に、そして他人の為に働いた」と言い、「あなたがたもこのように働いて」と「わたしに倣え」〈1コリント4:16〉と言い、そして、「働いて弱いものを助けよ」〈20:35〉と勧めます。
「わたしに倣え」とは傲慢な言い方のように聞こえますが、イエスの福音が真実であれば、それはイエスに従う人々に体現されるはずで、結局は「わたしはキリストに倣うものである」〈1コリント11:1〉皆もキリストに倣えと言っていることになります。イエスの福音の真理を説明する仕方は、真理を証明しようとするその人の生き様によるしかないのだと思います。
「弱い者を助けよ」。最初の教会は、富裕な人々(特に婦人たち)の家庭で集会が行われたとも考えられていますが、教会のメンバーの多くは、経済的弱者であった筈です。
諸教会は決して、富裕な者の経済的援助に依存していただけではありませんでした。今朝の箇所でパウロが言うように、それぞれが働いて教会の経済をやりくりし、そして、それぞれが働く意義の第一に「弱い者を助ける」ことが意識されていたのです。実際パウロはこの時にエルサレム教会に持って行く、小アジアの諸教会から集めた献金を持っていました。エルサレム周辺で飢饉が起こっていたからです。
「受けるより与える方が幸い」〈20:35〉。パウロは、「イエス御自身が言われた」と書いていますが、聖書の他の箇所にこの言葉は見当たりません。おそらく〈ルカ6:38〉の「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる」という言葉か、〈マタイ10:8〉の「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」という言葉の言い換えではないかと考えられます。
「受けるより与える方が幸い」 。 これは体験的にしか理解できませんが、みなさんはそう思いませんか。働いて得たお金を自分だけの為に使い、裕福な生活を送るよりも、働いて他者のために使ったほうが幸福感がある。
最初の教会の人々も、お金がない苦労はいろいろあったでしょうが、幸福感に満たされていたと思います。
(説教要旨)
「働くことの意味」
〈2テサロニケの信徒への手紙3章6~13節〉
今朝の箇所も聖書日課に指示されている箇所です。この一か月ほどの聖書日課は、キリスト者のふるまいについて具体的に書かれてある箇所を抽出しているようです。
注解書は「怠惰な生活をしているもの」〈6,11節〉とは誰なのかについて、その解説に迷っているようです。
ひとつの解釈は、終末(イエスの再臨の時)が近いと確信して、だから労働をする気がなくなってしまった人たちという解釈です。労働は、苦痛なものである〈創世記3:19,23〉が、もうすぐ天国がくるのだから、今更苦労する気はないという人々が教会の中で生じてしまったという解釈です。
もうひとつの解釈は、〈11節〉にある「怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている」の「余計なことをしている」という言葉は、「(他人のことが気になる)お節介屋さん」と訳せるので、ある特徴的な性格を持った教会の人々を指しているという解釈もあります。パウロは「そんなことしている暇があったら、自分の役目(仕事)を果たしなさい」と言いたいのです。
最後の解釈は、この手紙は、ギリシャの都市であるテサロニケに宛てて書かれていますから、怠惰な人とはギリシャ市民のことであるという解釈です。ギリシャ市民は、奴隷に労働をさせて、自分たちはさっぱり働くことをしませんでした。
「怠惰な生活をしているもの」が誰であったか、正確には分かりませんが、いづれにせよ、パウロは、自ら働いて収入を得よ。それによって生活せよと命じているのです。実際パウロはテント作りの職人であったようです〈使徒言行録18:3〉。(働くことができない人々についてはパウロはここでは関心をもっていないようです〈ロマ4:5〉)
ここから話は横道にそれます。「怠惰な生活をするな」。わたしはかなり怠惰であると思っていますからこの言葉は身につまされますが、近代日本のわたしたちは少しこれに狂信的になってしまってはいないでしょうか。近代のキリスト教倫理は、「勤勉であれ」などの資本主義が要請する人間像に必死になって応えようとしてきましたから、今朝の箇所は現在の読者にはキリスト教倫理の内容としてインパクトがある言葉になってしまいます。しかし、わたしたちはもう少し怠惰になって良いのではないでしょうか。
わたしたちは、一体何のために働く(エルガゾーマイ)のか。聖書が言うのは、「朽ちない食物(命のパン=イエス)のために働く」〈ヨハネ6:27〉ということであると思います。
(説教要旨)
「古い生き方を捨てる」
〈エフェソの信徒への手紙5章1~5節〉
今朝の手紙は、先々週、先週のように、その箇所を読んで著者や読者がどのような問題に直面していたかが明確に分かるような内容ではありません。なにかしら抽象的です。
この手紙は、おそらく(エフェソ教会にではなく)、小アジアの諸教会で礼拝中に回し読みされることを想定して書かれたのでしょう。
今朝の箇所は、キリスト者としてのふるまいについて、具体的に書かれている箇所が印象的です。わたしたちは「キリスト者としてどうしたらよいのか」といつも考えていますから、具体的に指示されると、特に禁止事項を示されると印象的にそれを心に刻んでしまいます。
しかし、ここが著者が最終的に言いたいことではありません。著者が言いたいのは、新しく生まれ変わった者として生きよということです。今朝の箇所は〈5:14〉にある「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ」に行き着いています。(〈5:14〉は、イザヤ書にある引用句ですが、この箇所の言葉はおそらく洗礼式に用いられた式文の言葉でしょう。)
みだらなこと、汚れたこと、貪欲なことを口にするな。卑猥な言葉、愚かな話、下品な冗談も相応しくない。これらは、小アジアの教会を取り巻く環境について言及しているのでしょう。著者がこれらのこと、特にギリシャ的習慣に批判的であったことは確かです。
上記のことにおそろしく力を入れて信仰的指導をする教会もありますが、わたしはその気はありません。これらのことをせず多少上品になったからと言って、「わたしはキリスト者らしく生きている」と言うことはできません。エフェソ書は、禁欲主義と分離主義の勧めの書ではありません。
今朝の箇所において著者は、読者にキリスト者としての自覚を呼び覚まそうとしています。それは、まず第一に、神に愛されている子どもとしての自覚です。そして、あなたがたも愛によって歩めと呼びかけています。つまり、みだらなこと、汚れたこと、貪欲なことを口にしないけれども、この世をそのままで受け入れる(愛する)者となれと勧めているのです。
もうひとつの呼びかけは、〈5:8以下〉にある光の子としての自覚です。「光からあらゆる善意と正義と真実とが生じる」〈5:9〉との言葉から、この「光」という言葉は、「神」と同義であることが分かります。
わたしたちキリスト者が追い求めるべきものは何か。言い換えてキリスト教倫理が追求すべきものは何か。それは、みだらなこと、汚れたこと、貪欲なことを口にしないことなどよりも、善意と正義と真実とを追い求めることであるとわたしは思うのです。わたしたちは神の子・光の子として、ただ神によって「立ち上がれ」と新たにされている存在なのです。
(説教要旨)
「隣 人」
〈ヤコブの手紙 2章8~17〉
ヤコブの名が冠せられているこの手紙は、〈ペテロの手紙〉〈ヨハネの手紙〉と同様にイエスの3弟子の名が冠せられているだけでしょう。もしも著者がヘロデ・アグリッパによって殉教した弟子のゼベタイの子ヤコブ〈使徒言行録12:1~2〉であるなら、この手紙はA.D.44年より以前に書かれたことになります。しかし、今朝はこの手紙の著者はヤコブとしておきます。
この手紙の宛先は誰なのか。受取人は「離散の民」〈1:1〉であり、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)に集い〈2:2〉、長老たちによって指導されている〈5:14〉。それくらいしか分かりません。
しかし、この手紙を受け取った人々がどのような状態に在ったのか、今朝の手紙の内容を見ると推測できます。ヤコブは、富裕な者と貧困な者が教会に居ることを心に留めています。そして、富裕な者への服従と貧しい人々への軽蔑的態度には我慢がならなかったようです。ヤコブは一貫してそのような態度を拒否します。神は貧しい人を高め富める人を低くする〈1:9~11〉からです。
もうすこし具体的に言うと、〈4:13~17〉に登場する富む人とは、商人たちです。お金があるというあなたたちの安心感は偽りのものである、服装・宝石・贅沢なごちそうは、一時的な安心を与えるだけであると指摘します。
〈5:1~6〉に登場する富む人とは、律法に違反して労働者に支払うべき賃金を取り上げてしまう地主たちです。ヤコブは怒りをもって、君たちは神に懲らしめられるであろう〈2:13〉と警告をしているのです。
貧しい人々への配慮、労働者への正当な支払い、これらは律法に基づいています。預言者たちは度々富む人が律法違反をしていると非難をしています。〈イザヤ5:8〉〈エレミヤ5:26~28〉〈アモス5:12〉〈ミカ2:2〉つまり、貧しい人々への配慮なしに「わたしは律法を守る義人である」と言うことはできないのです。(日常的に経験するように、貧しい人々は、ヤコブに説教されなくてもお互いに助け合っています)。
今朝の箇所の後半に至って「行いが伴わないなら信仰はそれだけでは死んだものです」〈2:17〉と書かれてありますが、これは富める人への警告です。「律法に書かれてあるように、貧しい人々への配慮を実行しなさい。これがない信仰などない」と言いたいのです。
富裕であることは何と魅力的なことでしょう。しかし、わたしたちは貧困であるからこそ傲慢にはならず、共に助け合って生きることができ、本当に頼りになる方に頼ることができるのです。
(説教要旨)
「一致の勧め」
〈1 コリント信徒への手紙 1章10~17節〉
今朝の箇所が書かれなければならなかった事情は明かです。コリントの教会は、およそ4派に分裂していたのです。
そして、その4派の人々は、「わたしは〇〇につく」と標榜していたようです。〈1:12〉アポロは、アレキサンドリア出身の学識あるユダヤ人で、プリスキラとアキラがアポロを指導してエペソの説教者であったのが、コリントに派遣されたのでした。ルカは、アポロが雄弁であったことを報告しています。〈使徒言行録18:27~19:1〉
ケファは、ペトロのアラム語名です。ケファは、実際にコリントに来たのか、分かりません。イエスの弟子としての名声がコリントに伝わっていただけかもしれません。
「わたしはキリストにつく」。一番真っ当なグループであるかの印象を与えますが、パウロはこれに組みしません。実はもっともやっかいなグループだったもしれません。「わたしこそ正しい」のグループだったかもしれません。
そしてパウロ。コリントに伝道し、教会を作ったパウロがこの教会の一致を願っているのです。
パウロはいくつかの重要な設問をしています。①キリストはいくつに分けられたのか?②十字架に付けられたのはパウロなのか?③洗礼はパウロの名によって授けられたのか?〈1:13〉
この設問の答えは全てNOです。パウロは、あなたがたはそのような状態に陥ってはいないか、教会はただイエスの名においてのみ救われ、形成されているのだと言いたいのです。
コリントの教会が4派に分裂したのは、洗礼を受けることの誤解によるものでしょう。
まず、洗礼は洗礼者との間に特別な忠誠の関係を生み出してはいけないのです。洗礼は「神とイエスと聖霊の名によって」授けられるものです。
パウロは、クリスポ、ガイオ、ステファナのようなわずかな人々にしか洗礼を授けず、「それでよかったと思うぐらいだ。神に感謝する」と言っています〈1:14〉。パウロはイエスの福音に、イエスの十字架と復活に集中していたのです。これを伝えることに集中していたのです。
教会において意見が異なることは何の問題もないと思います。かえってそのほうが良いと思うくらいです。しかし、今、教会に在る者がイエスキリストの十字架と復活を忘れたとしたら、神がひとり子を賜るほどにこの世を愛され、イエスの復活を信じる者が、ただ神の憐れみによって再び立ち直り、改められていることを忘れたとしたら、教会はばらばらに解体しているのだとパウロはわたしたちに言いたいのです。
(説教要旨)
「世界で一番美しい村」 石井 浩
〈ヘブライ人への手紙11章1節〜3節〉
2015年4月25日、ネパールをマグニチュード7.8の大規模地震が襲います。その震災でネパールでは9000人もの人が死に、800万人にも及ぶ人が被災しました。日本人カメラマンの石川梵さんは、震災直後から震源地となったラプラック村に入り、被災を受けながらも、悲しみと困難を乗り越え、懸命に村の再建を図る人々の姿を描いた映画「世界で一番美しい村」を撮影します。
映画では、少年アシュバドルとその家族、看護師ヤムクマリとの出会い、梵教の教えが生活の隅々まで浸透している村での犠牲者への弔いの儀式を映し出します。梵教の新年を祝うガトゥーの舞が、二人の幼子によって踊られます。それは、先祖から受け継がれた大切な儀式で、「村人を内なる苦しみから解放する大切な儀式」なのでした。儀式の最後に、村人全員に清めの葉が配られると、一人一人がすべての罪を清めの葉に乗せて神に託します。そして、神はそのすべてを引き受けてくださるのでした。それは、人里から隔離された高地で、身を寄せ合いながら生きてきたラプラック村の人々の霊性と呼ぶべき信仰の深さを感じる「世界一美しい瞬間」だと、石川さんは伝えたいのだと感じました。
本日の聖書の箇所は、ヘブライ人への手紙11章1節〜3節です。新日本聖書刊行会版の新改訳聖書には、次のように記されています。
「1信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。2昔の人々はこの信仰によって称賛されました。3信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」
「望んでいる事がら」とは、自分が望んでいることではなく、神によってもたらされる天における報いのことです。天における大きな報いが、私たちの希望です。そして、その希望を保証するものが信仰です。
「目に見えないものを確信させるもの」とは、物理的に見たり、科学的に検証したりできない神の働きを確信させるという意味です。なぜ確信することができるのか。それは、私たち信じる側に根拠があるからではなく、信じる対象である神が確かな存在だからです。信仰とは、自分が願っていることが、かなえられるように、繰り返し神に押しつけることではなく、神が言われたことを、神が願っておられることを、そのまま自分の心に受け入れて、なんの疑いもせず、そのとおりになると確信することです。
私は、ヘブル人の手紙第11章のこの箇所から、信仰のなんたるかを知り得ました。私は、この信仰があるから、先行きの見えない不安だらけのこの荒波のような人生を、ある意味悠々と生きて行けるのではないのだろうかと思う場面を幾度か経験してきました。そして、これからも信じるものに働く神のすぐれた力が、私たちのうちにも宿っている、神の国は、今私たちのこのただ中にあるという聖書のみ言葉を確信し、「そのとおりです、アーメン」と告白しながら歩みを続けたいと思います。
(説教要旨)
〈ヨハネ福音書3章16~21節〉
わたしはダメな人間なのか? 日本社会は、「わたしはダメな人間だ」と思わせる体制が完備されているように思います。
ダメな人間だと思い込んでいる人とは、言い換えれば自己肯定感が低い人と言うことができます。
あるサイトを見ると自己肯定感が低い人のいくつかの特徴が書かれてありました。①過去の失敗へのこだわりやトラウマがある ②他人との比較や劣等感の意識が強い ③いつも「できない」と思ってしまう ④周囲への依存度が強い ⑤人のために頑張ることができない。
逆の特徴を持っている人が自己肯定感の高い人ということになるようです。「自己肯定感」とは「自分が自分であることに満足し、価値ある存在として受け入れられること」です。
価値のない人間など居ないのです。「わたしはダメな人間だ」と思い込んでいるか、いないかの違いだけなのです。日本社会では、「わたしはダメな人間だ」と言ったほうが好感をもたれるので、そう自称しているうちに、自分でそう思い込んだかもしれません。それより、東洋の奇跡と言われた1960年代の高度経済成長期に形成された「生産性のある人間こそ価値がある」という価値観に取り込まれたと言った方が良いかもしれません。
肯定感は獲得するものではなく与えられるものだと思います。今朝の箇所は、神はこの世を裁くためではなく、救う為にイエスをこの世に遣わされたのだと説明して、神はわたしたちをそのままに受け入れてくれたと書かれている箇所です。
「ニーバーの祈り」と呼ばれる祈りの中に「これまでの私の考え方を捨て、イエス・キリストがされたように、この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください」という言葉があります。
わたしはこの言葉を聞いて、「ああ、イエスのされたことは、この世をそのままに受け入れるということだったのだな」と思いました。
イエスが受け入れて下さるのは、この世もそうですが、わたしもそこに含まれると思います。つまり、「御子を信じるものは裁かれない」〈18節〉と書かれてありますが、「わたしはイエスを信じる」とは、わたし自身が自分のことをそのままで受け入れるということになると思います。
「わたしはこのままで良いのか」と反省することは必要かもしれません。しかし、それ以上に神とイエスは、わたしをそのままで良いとされていると、自分で自分自身を受け入れることが大切なのだと思います。
(説教要旨)
「見えない希望」
〈ローマの信徒への手紙 8章18~25節〉
パウロは、「わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます」〈2コリント4:18〉のように、「見えない」という表現を肯定的な文脈に用いています。
今朝の箇所は、神による、とんでもない大転換・大逆転を、希望として抱いているパウロの信仰が表明されています。
「とんでもない大転換・大逆転」 とは。〈ルカ1:51~53、マリアの讃歌〉にはこう書かれています。
(主イエスの再臨の時)「主がその腕で力を振るい、思い上がるものを打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返す」
そのような大転換・大逆転。パウロはこれを希望として抱いているのです。
しかし、その大転換・大逆転の保証になるものは目に見えないのです。この世に現実に存在しないのです。その大転換・大逆転の手がかりが見えないまま、現在は「苦しみ」〈8:18〉に満ちているのです。
「これなら、今手元にあるお金のほうが、この世の力のほうが、よっぽど将来の希望の保証になるわ」と思ってしまいます。
今、わたしはフィリピンから来た15歳の女の子Yちゃんに日本語を教えていますが、その日は「パイナップルとバナナ、どちらが好きですか」というようなフレイズを勉強して、帰り道、車の中で勉強の続き。
(わたし)「あたたかい心とお金、あなたにはどちらが大切ですか?」
(Y子)「ん~~~」
(しばらく考えてます。約一分後に)
「money」
ちょっと~~。なんちゅう即物的な。
牧師が訊いてるんだから、牧師が喜びそうな答えようってものがあるでしょ。
話が続かないでしょ、と思っていたら
「because .I want to help Mom」(お母さんをたすけたい)
そうだったか・・・。
ちょっと涙が出そうになりました。
マリアの讃歌にある「飢えた人を良い物で満たす」とはこういうことなのか、と思いました。神の導きを信じる人には「飢えた人を良い物で満たす」ことが起きるのだと思います。
「神の導きを信じる人」とはどんな人なのか。
神の導きを信じる人とは、「自分たちには慰めの手段がない、われわれの提出する慰めや解答~即ち、お金やこの世の権力~はみな浅薄なものであり欺瞞であることを洞察することができている人」(K.バルト、『ロマ書講解』8章)なのです。
わたしは、Yちゃんは、この洞察ができていたように思うのです。「ん~~」と約1分間に、お金というものは今の状態を解決する本当の回答にはならないことを知っていて、moneyと答えたような気がするのです。
繰り返しますが、現在、わたしたちは「苦しみ」の中に在ります。だから、わたしたちには「忍耐して待ち望む」〈8:25〉ことが要請されています。パウロは、「苦しみ」を熟知している者として、ローマ教会の信徒たちを慰め、励ましています。
パウロはこう言いたいのだと思います。「わたしたちは、何もしないでじっと我慢しているのではなく、進んで苦しみを負いましょう。そうすれば、そこには、わたしたちには測りがたい、予測もできないような神の業が奇跡のように現れるでしょう」
パウロは、「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」〈18:22〉と書いています。パウロは、わたしたちが経験する苦難そのものに、神の栄光の業の「産みの苦しみ」を見ているのです。
わたしたちは将来の希望をわたしたちの手の中にあるものに見出しますか?
それとも神の導きに見出しますか?
わたしは神の導きに希望を見出したいと思います。
(説教要旨)
「いかに幸いか、主を王とする国」
〈詩編33篇 12~22節〉
19世紀始めの、フランスのナポレオンがモスクワに迫り、退却するまでの時代を背景に描かれたトルストイの『戦争と平和』。わたしは全部読み切れていませんが、感想を言うと登場人物(名前がある登場人物だけで549人と言われています)に共通するものがあるように思います。それは、「わたし(だけ)の平和」を願うのだけれど「わたしたちの平和」を願っている登場人物が極めて少ないことです。このふたつの違いは大きいと思います。
新旧約聖書に登場する「平和」という言葉を数えると82例あります。全部の箇所を読んでみて思うことは、聖書にある平和は、ほとんどが「わたしたちの平和」です。主の祈りの主語が「わたし」ではなく「わたしたち(我等)」となっているように、聖書には「わたしだけ救われる」という思想が無いように思います。
今朝の詩編はどういう状況下に在る歌であるのか良く分かりませんが、大国の侵略を受け、戦争が繰り返された経験によって作られたものでしょう。上記の設問に照らして分かるのは、この詩編の関心は「わたしだけの平和」ではなく「わたしたちの平和」にあるということです。
この詩編は心の中、魂、家庭内、そして国を平和が及ぶ単位として考えることを否定して無関心でいるように見えます。
国はわれわれの平和を守るように見えて国が保持する軍馬や兵隊はあてにはなりません〈33:16,17〉。神の平和がもたらされる範囲は国を越えています。〈33:10〉
今朝の詩編は、わたしたちが平和であることの保障をどこに見出そうとしているのか。行き着いた先は主なる神です。
共同体の平和、わたしたちの平和を待ち望む人は、主なる神に信頼を置くのです。すると「人の心をすべて造られ」〈33:15〉た神は、「人の子(人間)らをひとりひとりご覧になり」〈33:13〉わたしたちの魂〈33:19〉を救われるのです。
主の目は、そして、いつくしみ(ヘセド)は誰にそそがれるのか〈33:18〉。
主の目は「主を恐れる人、主の慈しみを待ち望む人に」そそがれるのです。彼らが平和を作り出すからです。国の本当の主は、羊を食らう王たちではなく、強大な軍事力でもなく、われわれを全き救いに向かって導かれる神である。わたしはこの信仰がどれほど平和をつくりだす〈マタイ5:9〉たたかいを続けた人々をなぐさめ続けたかと思うのです。
(説教要旨)
「赤ん坊が教えてくれたこと」
〈ルカ福音書2章14節〉
*今朝の説教は子どもたちに話すつもりで準備したので、この説教要旨は、参考としてお読みください。下記については今日ほとんどお話しません。
元米国陸軍中佐で心理学者であるデーブ・グロスマンの『戦争における人殺しの心理学』という本に第2次世界大戦中の兵士に対するアンケート調査結果が何度も引用されています。そのアンケート調査の結果とは、「敵と対峙して発砲した前線の兵士たちの15%~20%しか敵を狙って撃っていなかった」 というものです。実際は、映画の様子とはちょっと違って兵士たちは人殺しをしたくはなかったのです。
ベトナム戦争(1953~1975年4月。この戦争がいつ始まったのか曖昧で今も分かりません。わたしは1953年11月にディエンビエンフーの戦いでフランス軍がベトナムから撤退した一週間後にアメリカが「調査団」という名目でベトナムに介入し始めた時からだと思っています)
今朝は、このベトナム戦争に参戦したアレン・ネルソンという友人のことをお話したいと思います。彼は1947年にニューヨークのブルックリンで生まれたアフリカ系アメリカ人です。父親は彼が生まれた時にはもう居らず、母親が4人の子どもを育てていたのでとても貧しい子ども時代を過ごしました。高校を中退して18歳の時(1966年)に海兵隊に入隊しました。家計を助ける為でしたが、母親は泣いて彼の入隊を嘆きました。沖縄駐留を経て、ベトナムに行き、除隊後17年間、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみました。1995年に沖縄で起こった米兵による少女暴行事件をきっかけに彼は沖縄に行き(1996年)、兵士たちに兵役を拒否して帰国するようよびかける運動を始めました。彼は2009年3月に多発性骨髄腫(これは米軍が撒いた枯葉剤によるものだと思います)で61歳で亡くなりましたが、それまでの約13年間、日本で「戦争の事実」を訴え、約1500箇所で講演をしたと言われています。彼の生涯の概要はこのようなものですが、今朝はわたしが彼に始めて会った時のこと、その後、わたしに話してくれたことをお話したいと思います。
今朝の聖書の箇所は、主イエスの誕生の時に天使たちがイエスを祝福して羊飼いたちに伝えた言葉です。アレンさんは、生涯ベトナムで人を殺したことに苦しみましたが、その罪責の思いを日本とベトナムの人々に伝え、戦争は二度としてはいけないと訴える生涯を歩みました。わたしたちもアレンさんを慰めた「地には平和、御心にかなう人々にあるように」との天使たちの言葉を感謝して受けたいと思います。
(説教要旨)
「教会の戦争責任」
〈マタイ福音書5章1~12節〉
戦争は神の業で、変えられない運命なのか。神様に文句を言って済ましていられるものなのか。これが今朝の説教の設問です。
アメリカの神学者ラインホールド・ニーバーは、「変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ」と言っています。
わたしは、Rニーバーの見地に賛成です。神の業はKバルトが言うように「これが神であるはずはなく、神であってはならない」とは言えない、人間が変えようのないものだと思います。しかし、戦争は、「(それをしないように人間の手で)変えられるもの」であり、神の業ではありません。
今朝は、日本基督教団が「変えられるものを変える勇気を」持っていたのか、共に考えたいと思います。
日本基督教団は、宗教団体の国家管理の目的で造られた「宗教団体法」によって30余りの教派が統合されて、1941年に創設されました。最初の4年間の歴史は戦争中の歴史です。
日本基督教団は、戦争に協力させられたと言うよりは、積極的に戦争に協力しました。今日は、3つのことだけ、紹介したいと思います。
ひとつは、「軍用機献納運動」です。約95万円ほどの献金が集まり、陸軍と海軍の航空隊に、3機ずつ戦闘機が献納されました。
2つ目に紹介したい事柄は、日本基督教団の統理富田満が、占領地のアジア諸国の教会に宛てた手紙「日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰」(1944)です。ここには、この戦争は、西欧の植民地勢力をアジアから一掃するための聖なる戦争であり、全世界をまことに指導し救済しうるものは、世界に冠絶せる万邦無比なるわが日本の国体であるから、一層戦争に協力するようにと書かれています。
最後に紹介したいのは1942年6月と1943年4月に134名の牧師たちが逮捕・投獄された時の日本基督教団の態度です。この弾圧事件(ホーリネス弾圧事件)の後の「教区総会議案報告書」にある議員名簿には、獄中に在る教師たちの名はまるで最初から居なかったかのように抹消されて、この事件についての言及は一切ありません。
「平和を実現する人々は幸いである」とイエスの言葉にあるように、この時の日本基督教団は、幸いであったのか。
今、日本基督教団の歴史を紹介しましたが、わたしは「ひどい奴らがいたものだ」と評論家のようにはなれないです。わたしは教団の一員として教団の歴史に責任を感じます。わたしは、教団が、教会がこれからどのように歩むべきか、わたしがキリスト者としてどのように歩むべきかについては、神様とこの世の人々に責任があると思うからです。
今朝のイエスの言葉は、わたしたちが今後どう生きるかを示した言葉であると思います。わたしたちが今後どう生きるかを考える時に、わたしたちが過去にどのように歩んだかを忘れてはいけないのだと思います。
「負け戦だったのか」
〈使徒言行録17章22~34節〉
今朝の箇所は、パウロの2回目の伝道旅行で起こった出来事が書かれています。パウロはパレスチナ海岸のアンティオケを出発して小アジアのガラテア・トロアスからヨーロッパに渡り、ネアポリス・ピリピ・テサロニケ・ベレア。そしてとうとうギリシャの最大都市アテネに着きます。
パウロは、ここで、イエスの福音を伝えることには、ほとんど成功しなかったようです。アレオパゴス(評定所)で「救い主」と「復活」を説くパウロは、汎神論的なギリシャの人々に一神教を伝えることに苦労をしています。
「イエスは救い主」であることと「復活」はギリシャ人たちには初めて聞く言葉だったのでしょう。「それについては、いずれ、また聞かせてもらうことにしよう」とスルーされるのです。「パウロはその場を立ち去った」との記述には、彼の無念さが描かれています。
しかし、「彼はアテネで負け戦をしたのか」。これが今朝の設問です。
先日、読書会で遠藤周作の『死海のほとり』を読みました。信仰から遠ざかり、しかし「イエスが付きまとう」作者が、エルサレムで聖書学を学ぶ同級生の戸田とパレスチナを彷徨う場面と、イエスの時代の話が交互に構成されて、なにか、憂鬱が漂う小説でした。わたしは、この本にある大祭司アナスと逮捕されたイエスとの二人きりの会話が、とても印象的でした。
アナスがイエスに「結局、お前は何もできず、何の役にも立たなかった。することなすことひとつも実も結ばなかった」と言います。
するとイエスはこう答えます。「何もできず、何もかも失敗すると、自分でもわかっていました」(新潮社p.156)。
この箇所に、平和に、人権に、正義に身を奉げた、そして、奉げている何人かの人々の顔を思い出して、「それでよいのだ」と思いました。わたしも、そういう経験をずいぶんしたような気がするのです。
ここで思い出すのは、Dボンヘッファーの最後の言葉として伝えられている「これが最後です。しかし、これがすべての始まりです」という言葉です。
この言葉は、Dボンヘッファーと一緒に捕虜として投獄されていたイギリス人のペイン・ベストが、連合軍に証言した言葉です。
Dボンヘッファーは、「黒いオーケストラ」と呼ばれた(そう呼んだのはゲシュタポです。ゲシュタボは、ドイツ軍の中にヒトラー暗殺計画のグループがあると気が付いていました)Aヒトラー暗殺計画に参加しました。Dボンヘッファーの役目は、連合国側への情報提供、そして和平交渉をすることだったようです。しかし、同じく逮捕された海軍大将のカナリスの日記から、Dボンヘッファーも黒いオーケストラのメンバーだと知れてドイツ敗戦の1カ月前に39歳で処刑されました。
Dボンヘッファーの著作を読むたびに、「彼が生きていたらどれほどすごい神学的な業績を残していただろうか」と思うと、残念です。しかし、彼の最後の言葉、「これが最後です。しかし、これがすべての始まりです」は、わたしたちがどんなに負け戦をしようとも、平和と人権と正義が神の約束の内容であるとすれば、その負け戦は、神の救いの歴史の1ページだったのだと思えるのではないでしょうか。
パウロは、アテネでうまく行かなかった。みっともなくこの街を立ち去った。しかし〈使徒言行録〉が言いたいことは、イエスの福音を述べ伝えることに負け戦はないということです。
わたしたちの伝道の業も、もうすでに全ての人々が神の救いの中に在ることを信じて神の福音の業に参与しているものであります。
イエスが「何もできず、何もかも失敗すると、自分でもわかっていました」と言った時の、「わかっていた」とは、「神の救いの業はゆるぎなく前進していることを分かっている」という意味であったと思います。
福音を述べ伝えることに負け戦はありません。これは、神の宣教の業、神が約束される救いの業への参与の業であるからです。
(説教要旨)
「憐れみの器」
〈ローマ信徒への手紙 9章19~24節〉
今朝の箇所は、先週「神の裁きを、人間にではなく神のみに許された裁きの行為を、福音書はどう書いているのか。〈ヨハネ福音書〉は、「神はそのひとり子をお与えになったほどにこの世を愛された」〈3:16〉と表現して、即ち、「神はその独り子を神殿に献げる犠牲(いけにえ)の子羊とされたのです」と述べたことの続きです。
イエスの弟子たちもイエスの不可解な死を、聖書から理解しようと務めましたが、(おそらくイザヤ書53章の「苦難の僕の歌」が理解を助けたでしょう)パウロも、イエスの十字架の死を「わたしたちの罪を赦すいけにえの子羊の死」と理解しています。
「人よ。神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか」〈20節〉。この節について、パウロは今朝の箇所の直前にこのように書いています。「神は御自分が憐れみたいと思う方を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです」〈9:18〉。
神には、わたしたちが「これが神であるはずはなく、また神であってはならない」(Kバルト『ロマ書講解』)と叫んでも通用しません。神はわたしたちに対して全く自由にふるまいます。
わたしたちから完全に自由である神は、「なぜ、あなたは、一日中労苦したわたしたちと、たった1時間しか働かなったあの人と賃金が同じなのか」と抗議するブドウ園の労働者の声を拒否して、「自分のものを自分のしたいようにしてはいけないのか」と言われます。〈マタイ福音書19:15〉。神は1時間しか働かなかった者を憐れみ、一日中労苦して働いた真面目な人を「神の気前のよさをねたませ」てかたくなにされるのです。
神はどのように人を裁かれるのか。そして、救われるのか。パウロは、軽蔑していたクリスチャンたちからイエス・キリストを知って、その思いを大転換します。
熱心なユダヤ教徒、律法学者として人を救うつもりで、実は人を裁いていた時のことを、パウロ自身は「誰がこの死の体から救ってくれるのだろう」〈ロマ7:24〉と表現し、遠藤周作は、この時のパウロを「何と人間は辛いものだろう。パウロは心底から人間の業を訴えているようである。我々が誰かのために善きことを行おうとする。だがその善いと思ったことが、実は自分の独善であり、相手を深く傷つけていることに気が付かない」(『キリストの誕生』)と表現しています。
パウロが「わたしは神によって救われている」と実感したのは、イエス・キリストの十字架と復活に現れた神の業を知ったからでしょう。わたしが今在るのは神の憐れみによる。わたしは神の憐れみの器なのだと思ったのです。
(説教要旨)
「裁くな」
〈マタイ福音書5章13~16節〉
今朝の箇所の並行記事は、〈ルカ福音書〉にあります(6:37~38、41~42)。〈マルコ福音書〉にはこの記事はありません。おそらく「Q資料」に存在していたものを〈マタイ〉と〈ルカ〉が採用したのだろうと推測されています。そしてQ資料では、今朝の記事は〈マタイ18:21~35〉の記事の直後に補足として存在していたのではないかと推測されています。
〈マタイ18:21~35〉の記事は、弟子のペトロがイエスに「わたしに対して罪を犯したなら何回赦すべきでしょうか」という質問に、イエスが「その質問は1万タラントン(1タラントンは6000デナリオン。1デナリオンを1万円とすると、1万タラントンは600億円)の借金を赦してもらった人が、その直後に100デナリオン貸している人に出会って、金返せと首をしめるようなものだ」と答えられた記事です。「裁くな」。あなたは裁きたいその人の何百倍もの裁かれるべきものがあるのだから。Q資料に「人を何回赦したらよいのか」という問答の直後に「裁くな」という言葉が置かれていたとしたら、あなたがたは、「自分の目の丸太」〈7:5〉を神に赦されているだから、他人の目にあるおがくずを裁くな、裁かないで赦せという勧めになります。
「裁くな」とイエスが言われる理由は、もうひとつあります。裁きは神の行為であって、人間がすべき行為ではないからです。
旧約聖書が伝えたいことは、結局、「神は神であり、人間は人間である」ということだと思います。旧約聖書には、人間が神になろうとした悲劇があちこちに描かれています。
では、神はわたしたちにどのような裁きを下されるのか。神が「地上に人を造ったことを後悔して」〈創世記6:6〉、洪水によって、これを地上から拭い去ることによってでしょうか。
神殿に捧げられる犠牲(いけにえ)は、神の裁きを避けるためのもの、神の怒りのなだめるためのものでした。犠牲の羊は、人間の代わりにその煙が天に届くようにと神殿で焼かれたのでした。
神の裁きを、人間にではなく神のみに許された裁きの行為を、福音書はどう書いているのか。〈ヨハネ福音書〉は、「神はそのひとり子をお与えになったほどにこの世を愛された」と表現しています〈3:16〉。神はその独り子を犠牲の子羊とされたのです。これが神がされた裁きです。〈へブル人への手紙〉は、「世の終わりにただ一度、ご自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました」〈9:26〉と書いて、イエスが犠牲として捧げられた。犠牲はこれが最終のもので、わたしたちが取る行為は神への感謝であると勧めています。
(説教要旨)
「この世に在るキリスト者」
〈マタイ福音書5章13~16節〉
Kバルトは、『イエス・キリストと社会運動』という本の中でこのように言っています。
「1800年もの長い間、キリスト教会は社会の困窮に対して、常に精神や内面的な生活や天を指してきた。教会は説教し、回心させ、慰めたが、助けなかった。そうだ、教会はいつの時代にも社会の困窮に対する援助をキリスト教的愛の一つのよき業として奨励したが、社会的な困窮はあるべきではないとも言わず、そのために全力を注ぐこともしなかった」
Dボンヘッファーは、ナチス政権についてこう言っています。「教会は、暴走する車に傷けられた人に包帯を巻いてきた。しかし、今や暴走する車を止めなければならない」
イエスは最後の数年を除いて、貧しいガリラヤの大工でした。たしかに、イエスの言葉は「上からの呑気な同情」(Kバルト、これは教会について言っている)などと言ったものではなく、すべての人々の側に立つ中立と言ったものでもなく、徹底して貧しい人々の側に立つものではなかったかと思うのです。
「貧しい人はさいわいだ。神の国はあなたがたのものである」〈ルカ9:48〉。この聖句は心の持ちようについて語っているのはなく、実際そうなのだとイエスは言われるのです。
「貧しい人はさいわいだ」。わたしは本当にそう思います。わざと財布を落として、何%財布が戻ってくるか、という実験がロンドンでありました。その実験結果は、富裕層が多い地域よりも貧困層が多い地域のほうが、財布が戻ってくる%が多かったのです。
実際、貧しい人々、罪人とされている人たちは人間としての誇りを奪われる環境に在ると言えます。その時にイエスは「徴税人や罪ある女たちはあなたがたより先に神の国に入る~即ち神の国に近い」〈マタイ21:31〉と言われたのです。「彼らは、どんなにイエスによって励まされたか」とわたしは思います。
主の祈りにある「み国が来ますように」。「神の国に行くことが救いなのではなく、神の国がわたしたちのところへ来ることが救いなのだ」とイエスは言われました。社会的な困窮はあるべきではないと言われたのです。
イエスの言葉は、世界を変革する力を持っています。しかし、日本のキリスト者は少数です。と言って、恐れる必要はないと思います。今朝の聖句「あなたがたは地の塩、世の光である」は、「少数であることを恐れるな」とわたしたちを励ましているのです。
(説教要旨)
「 腹を立てるな 」
〈マタイ福音書5章21~24節〉
(今朝は、子どもたちにはこの通りにはお話しません)
今朝の箇所は、イエスの山上の説教のひとつで、「腹を立ててはならない」という表題が付けられています。しかし、この箇所の主旨は、「まず、兄弟と仲直りしなさい」〈24節〉「和解しなさい」〈25節〉であると思います。
イエスはまず最初に「殺すな」との律法を示して、「しかし」と、イエスの教えを伝えます。(これを「反対命題の様式」と言います。「・・・と伝えられているが、しかし、わたしは言っておく」のような様式です。)イエスは「しかし」と言われて、何と続けているか。「腹を立てるな」です。
怒りが爆発した時の例が「ばか」と言い、「愚か者」という場合で、それをするなと言っています。
実は、わたしは腹を立てることが必要な場合もある。特に弱い者を守る場合には、と思っているのですが、現在、腹を立てない方法を教える本は各種出版されていて、「日本アンガーマネジメント(怒り制御)協会」と団体もあるようです。
その協会のサイトを見て「なぜ腹を立てるのか。そのメカニズムを理解することは必要かもしれない」と思いました。その協会が言うには「自分が持っているルールや価値観、思い込み、期待などの、その人の心の枠から外れた事態に出くわすと腹を立てるのだ」ということでした。この協会が提案する今日のイエスの教えに近い「腹を立てない方法」をひとつだけ紹介すると、それは、「クロスポジション」と呼ばれるもので「立場の交換」という訳、相手の事情を思い測るという意味になるかと思います。
今朝の箇所の分かりにくい最後の句「最後の1クァドランス(15円くらい)を返すまで、決してそこ(牢)から出ることはない」(これは〈ルカ12:57~59〉を参照して見てください、この句の事情が分かります)から、今朝は子どもたちには〈マタイ18:21~35〉のペトロとイエスの問答を紹介して、イエスが示された腹を立てないで兄弟と和解する道のお話をしたいと思います。
ペトロがイエスに「わたしは人を何回赦してやれば良いのでしょう」と尋ねると、その質問は百万円の借金を帳消しにしてもらった男が、道で100円貸している仲間に出会って「金返せ」と首をしめるようなものだとイエスが答えます。つまり、わたしたちは神様に赦されている(イエスの十字架によって神様と和解している)ことを知るべきだ、とイエスは言われるのです。
(説教要旨)
「誠実なる宣教師たち」
〈ルカ福音書12章54~56節〉
並行記事の〈マタイ福音書16:2~3〉は、状況説明が加えられていて、ファリサイ派とサドカイ派が「天からのしるし」を、つまり神の救いがあるのか目に見える証拠を見せて欲しいと試みたのでイエスがそのように答えたと書かれてあります。イエスは「
あなたがたは天気予報はできるのに、わたしたちの歴史がどのようになるのか、今、自分がどのような歴史の中に存在しているのか見極めることはできないのか」と言われます。
岡山の極東教会で牧師をしておられた脇本寿という牧師は戦争中、工場で働く朝鮮人たちの世話をする係でした。その時のことを本に書いて「わたしは精一杯の良心を発揮して朝鮮人の青年たちの世話をしたつもりだったが、彼らがどれほど人間としての尊厳を卑しめられていたのか、わたしがどのような歴史に在ったのか、どのような社会の構造の中に在ったのかに気が付いてはいなかった」と書かれています。
15~17世紀の大航海時代、ヨーロッパの国々が北・中南米大陸を発見し、スペインのコルテスやピサロなどのコンキスタドール(征服者)たちが先住民たちを制服し始めました。
本国では「先住民たちは人間であるか、否か」が真面目に議論されました。
先住民への征服を可とする根拠は、B.C.
4世紀のギリシャの哲学者アリストテレスの論でした。彼の先天的奴隷人説は「人類の特定の一部は、奴隷たるべく自然によって生まれつき定められており、労働を免れ、徳高き生活を営むべき生まれた主人に(市民に)奴隷として奉仕する」(『アリストテレスとアメリカインディアン』)というものでした。
スペインの司祭ラス・カサス(1484~1566)は、そのような事態において極めて良心的なキリスト者でした。中米でスペインの征服者たちが何をしているか、先住民への虐待・虐殺の様子を本国に詳細に報告し、先住民たちへの征服行為を止めさせようとしました。
ラス・カサスの文書にこういうものがあります。
スペイン征服者に対して、最初に決然たる反逆をした先住民の首長アトゥエイが処刑されるときに、居合わせたフランシスコ会の修道士は、木に縛りつけられたアトゥエイに神と信仰に関する話をしたあと、
「もし私の話を信じるなら天国に召されるが、信じなければ、地獄に落ちる」と告げた。アトゥエイはしばらく考えてから、「キリスト教徒も天国に行くのですか」と訊いた。
修道士は頷いてこたえた。「ええ、善良なキリスト教徒であれば」。
するとアトゥエイは、こう言った。
「君たちが天国に行くのなら、じゃ、わたしは地獄に行く。キリスト教徒の顔を見なくて済むからな」
(『インディアスの破壊についての簡潔な報告』)
アトゥエイにキリスト教を説いたこの宣教師は、誠実な・真面目な人だったのでしょう。アトゥエイが天国に行きますようにと本気で願っていたのだと思います。
しかし、なぜアトゥエイはキリスト教の信仰を拒んだのか。
この宣教師が自分たちを征服し、人間の尊厳を奪おうとする勢力の一人だったからです。この時、イエスはどちらの側の同伴者であったでしょうか。
わたしは、イエスはアトゥエイと共に居られたと思うのです。
(説教要旨)
「神か富か」
〈マタイ福音書 6章24節〉
神と富。このふたつの言葉は、今朝の箇所で「仕える」という動詞によって対立する概念となっています。「神にも富にも、両方に仕えることはできないのか」と思いますが、そうはできないと言うのです。
今朝の箇所は、イエスの山上の垂訓で語られたことになっていますが、ルカ福音書では、このイエスの言葉は、「不正な管理人」の譬え話の結論として語られます。この譬えが言いたいことは、「不正にまみれた富で友達を作れ」です。
神か富か。「永遠の命を得る(天国に入る)にはどうしたらよいか?」とイエスに質問した金持ちの青年は、「隣人を愛せ。財産を売り払って貧しい人に施せ」とイエスが答えると、悲しみながら姿を消します。たくさんお金を持っていたからです。青年は隣人を愛することを選択しなかった者として描かれています。この箇所ではイエスは「金持ちが天の国に入るのは、らくだが針の穴を通るほうが易しい」と言われます。〈マタイ19:16-26〉
エリコでイエスに出会った徴税人ザアカイは、イエスが「今晩一晩泊めてください」と頼むと「財産の半分を貧しい人に施します」と言い始めます。〈ルカ19:1~10〉お金より隣人(友人)のほうが大切だと選択したのです。
友人や隣人のためにお金を使って、助けることは大切な行為だと思います。〈ルカ10:25~37〉の良きサマリア人は傷ついた旅人を宿屋に連れて行って「宿泊代金はわたしが払うから」と言います。お金を持っていなければそれはできません。しかし、聖書が言う「お金を持っている」とはそういうことではないようです。「お金に仕える」という姿勢が問題であるようです。
イエスはいったいどのような事態を差してそう言っているのか。この言葉は、個人の倫理的問題ではなく、わたしたちが存在している社会構造の問題が問われていると思います。
〈イザヤ書2;7~9〉に「この国は銀と金に満たされ、財宝には限りがない。この国は軍馬に満たされ戦車には限りがない。この国は偶像に満たされ手の業、指の作ったものにひれ伏す。人間が卑しめられ、人は誰も低くされる」という言葉があります。イザヤのするどい指摘だと思います。富に仕える社会は、人間が卑しめられる社会であるとイザヤは言うのです。これは「困っている人を助けましょう」というような個人倫理の問題ではなく、キリスト教会がこの社会に対峙的になるか否かの問題です。
富にではなく、神に仕えよ。イエスはそう言われます。ほんものの救いは神にあるからです。
(説教要旨)
「ギデオンのたたかい」
〈士師記6章25~40節〉
3万もの軍勢をもってイスラエルを襲うミデアンとアマレク。イスラエルの部族連合を率いて防衛戦闘を行うギデオン。とても面白い戦国武将伝のように思える6章から8章までのギデオンの物語が、結局わたしたちに伝えたいことは何か。それは、わたしたちは、ただ主に頼って、わたしたちの歴史を築けということだと思います。
ギデオンの物語も、「主の目の前に悪とされることを行った」〈6:1〉のでイスラエルは西方のミデアンとアマレクに襲われたとの書き出しです。そして「イスラエルの人々がミデアンのことで主に助けを求めて叫ぶと」〈6:7〉、主は救助者を選びます。
選ばれたのはギデオンです。彼はさかぶねの中で麦を打っています。ミデアンの来襲から身を隠して生きているのです。ギデオンは主の使いに「エジプトから先祖を導きだした主はわたしたちを見放したのか」〈6:13〉と訊きます。すると主は「わたしはあなたを遣わす」と言われます。〈6:14〉。出エジプトの時のモーセがそうだったように、あなたがその役をやれ」という訳です。主が共におられる「しるし」を見せて欲しいというギデオンの度重なる要求に主は答え、そして、たたかいが始まります。
神のイスラエル軍勢の選び方は興味を惹きます。イスラエル部族連合から兵を招集すると集まってきたのは3万2千人でした〈7:1〉。しかし、主はその中から300人だけを選びます。300人の選び方はかなり変な方法です。要するに「弱いこと」「少数であること」は主のたたかいに有利なのです。3万2千人の軍勢でミデアンに勝利すれば「イスラエルはわたし(神)に向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったというであろう」〈7:2〉〈1コリント1:26~28〉。
結局は、わたしたちがどれだけの力を誇ろうとも、一時的な勝利を得ようとも、結局「主のたたかい」のほうが強いのです。
さて、〈8:22〉に至って、ギデオンはイスラエルの民に、王となるよう要求されます。時代は変化しつつあります。灌漑用水路が建設され、人々は農民化し、豊穣の神であるバアルやアシュラの神のほうが頼りになると思い始めます。余剰な富が蓄積されて王国が建てられる条件が整いはじめています。ギデオンは王位につく要請をきっぱりと断りますが、イスラエルの民の歴史的大問題は、サムエル、サウルに引き継がれます。
ただ、主に頼って、即ち正義と公正に頼ってわたしたちの歴史を築くことができるのか。これはわたしたちの課題でもあります。
(説教要旨)
「聖霊によってできた教会」
〈使徒言行録2章1~13節〉
五旬節(シャブオット。ラテン語でペンテコステ)の祭り。この日は、過越、仮庵の祭と共にユダヤ教の3大祭りのひとつでした。イスラエルの民がエジプトを脱出し紅海を渡ってから50日を数えてシナイ山に神が降臨したことを記念するこの日、ユダヤ教の大切なお祭りの日ですから、世界中のユダヤ人たちがエルサレムに巡礼に来ていました。
すると、弟子たちに突然聖霊が下りました。大きな音と目に見える形で。その物音に街頭にいた大勢のひとたちが集まって来ました。「話をしているこの人たちはガリラヤの人ではないか」〈2:7〉。弟子たちが「ほかの国々の言葉で話だしたのです」〈2:4〉
これは、弟子たちが急に外国語を習得したという話ではなく、集まってきたいろいろな原語を話す人々が、弟子たちが何を言いたいのか理解したという話です。
聖霊がしたことは、弟子たちに外国語を話す能力を付与したということではなく、多様な人々をひとつにしたということです。原語は多様性を象徴するものとして登場しているだけです。バベルの塔で生じた混乱(バラル)の回復という解釈もありますが、それは使徒言行録の著者ルカの意図にはありません。多様な人々がひとつになったその内容は何か、それは今朝の箇所に続く〈14節〉からのペトロの説教で明かにされます。
聖霊の働きはなにか。教会をつくったということですが、その共同体の性格は何か。
Kバルトは、たった一言で「聖霊とは人間を真理に向かわせる力」と言っています。つまり、共同体を構成する人々には誰一人「真理」の体現者は居らず、共同体を構成する人々はすべて聖霊によって真理に向かっている(矢が的にまっすぐ向かっているように)人々なのです。続くペトロの説教によれば、真理に向かうとは、はっきりとただ一点、ナザレ人イエスを主、メシア(救い主)と告白することです。〈3:36〉
今朝は、転入会式を行います。キリストのからだなる教会に一人のキリスト者を迎えます。それはただ教会員数が1増えたということに留まりません。多様性が形作られるのです。それぞれに大切な役割をもつ、目があり、口があり足があり手があって、ひとつのからだなるキリスト教会が形成されるのです。日本人が好きな、違うものを排除したり、均一化させて全体を形成するということではありません。聖霊は教会をかたちづくる。即ち多様性を認め、一人ひとりに神様から与えられた特別な役割があることを認めて、教会がかたちづくられていくのです。
(説教要旨)
「サムソンの誕生」
〈士師記 13章〉
先週は、士師とは裁判官というよりは、救済者であるという話をしました。
士師記には、12人の外敵からイスラエルを救った英雄たちが登場します。
サムソンは最後のひとりです。今朝は、13章から16章に亘るサムソン物語へのお誘いのような解説です。
Jクレンショウは、サムソンの物語について「イスラエル物語芸術の絶頂を示している」と言っています。わたしがサムソンの物語に副題をつけるとすれば「ざんねんな士師」「がっかりな英雄」です。そして、それ故に魅力的な物語です。
物語は「イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行ったので、主は彼らを40年間、ペリシテ人の手に渡された」〈1節〉という定型句で始まります。
しかし、サムソンの物語には、それぞれの士師物語にある、先週の箇所で言うと「国は40年にわたって平穏であった」〈3:11〉のような結末の記述はありません。サムソンは、ペリシテとのたたかいを始めますが、(それは祖国防衛戦闘というよりは、ペリシテに暴力を振るったという程度のものであり)、イスラエルを救わなかったのです。
神の目的は平和(シャローム)の確立です。しかし、サムソンはその目的を達してはいないのです。
サムソンの物語の最初、13章は、天使の登場・不妊の女への告知〈13:2〉、ナジル人の請願〈3〉、主の霊による神の祝福〈24~25〉と、読者にイエス・キリストの予型を期待させる内容です。
ところが、14章に入るとサムソンはたたかうべきペリシテの3人の女性と恋に陥ります。
バートランドラッセルは「人間は生まれた時は無知ではあるが、バカではない。バカになるのは、大きくなってからだ」と言っていますが、サムソンはたたかうべきペリシテの3人の女性と恋に陥ります
①ティムナの女性〈14:1~15:20〉、②ガザの遊女〈16:1~3〉、③デリラ〈16:4~31〉。3章に亘って女性との関係が書かれています。
信仰の英雄、キリストの予型という伝統的な解釈に反してJCマッカーシーは、サムソンを「性欲過剰の道化」と書いています。あるいは、「サムソンの物語はR指定」と書いています。
物語の最後は、サムソンはデリラに騙されて、捕虜となり、3千人のペリシテ人を巻き込んで、タゴンの神殿を崩壊させ、自害します。
JCマッカーシーの注解には明確な意図があります。
士師たちの活躍を外敵からイスラエルを救った英雄として描くのではなく、英雄の活躍を拍手喝采で終わらせるのではなく、ペリシテに囲まれた教会、神が世界を変革する歴史に参与すべき教会が、今、ペリシテとどうたたかうのかという課題を読者につきつけているのです。
教会がたたかうべきペリシテとは、教会が存在している現在の世界のことです。
強力で魅力的な誘惑を(他の神々を、即ちお金、権力、異性・・・を)提供してくれるこの世界に在って、神と神の救済の歴史に忠実であることがいかに難しいことであるかをサムソンは示しています。
世界を変革しようとするよりも、その世界に浸るほうが、どれだけ簡単か。
サムソンは人気がある士師です。わたしたちと同じだからです。サムソンほぼ確実に神に不忠実な士師(救済者)です。この物語で神の救済の歴史に忠実な誰かを探すとすれば、それは神です。
しかし、神の救済の歴史は、サムソンをも組みこんで進むのです。
(説教要旨)
「主の目に悪とされることを」
〈士師記3章 7~11節〉
旧約聖書を拾い読みしながら、イエス誕生までのイスラエルの民の歴史を概観しようという試みが暫く中断していましたが、再開します。これまでの歴史をもう一度復習すると、チグリス・ユーフラテス流域に住んでいた民が、ハランを経由して、パレスチナの山地に点在するようになったのがB.C.
13世紀頃、聖書ではアブラハム・イサク・ヤコブの族長時代です。「小歴史的信仰告白」と呼ばれる〈申命記26:5~10〉などの冒頭にある「わたしの先祖は滅びゆく(さすらいの;口語訳)一アラム人であり」に記録されています。
山地に点在する部族は、アンフィクチオニーと呼ばれる部族連合体を組織します。連合体を構成する部族の名はヤコブの息子たちの名前として聖書に記録されています。
エジプトに下り、再び故郷に戻る〈出エジプト記〉の出来事は、おそらくヨセフ部族だけが経験したでしょう。しかし、それは12部族全体の歴史的経験として先の〈申命記26章〉などに告白されています。この信仰告白は12部族がシロやシケムなどの「聖所」で交代でまつりごとを主催する礼拝において告白されたものです。年代でいうとB.C.
1200年頃から王国が成立するB.C. 1000年頃までのことです。
今朝の〈士師記〉はこの時代の記録です。「士師」は「さばく者」という意味ですが、ヘブル語で「さばく」は、紛争を決裁するというよりは「救助」という意味です。士師たちは、イスラエルが外的に襲われたときに神の霊を受けて自衛軍を指導した人々でした。
〈士師記〉に繰り返される歴史観があります。それは〈2:11~12〉に典型的に現れています。つまり、イスラエルが外敵に襲われて消滅寸前になるのは、出エジプトの時に示された救いの神を忘れて、わたしたちが「主の目の前に悪とされること」を行ったからだという歴史観です。
単純な歴史観のように思えますが、今、わたしたちはこの歴史観さえ失おうとしているのかも知れません。日本人だけで300万人もの命が奪われた第2次世界大戦の「そもそもの原因はABCD包囲網を敷き、日本の産業資源を枯渇させる経済制裁をしたからだ。日本はやむを得ず戦争に突入した・・・。」「あいつらが悪い」という訳です。
この論は、それ以前に日本が中国大陸に軍隊を展開し、国としての正義を失っていたことを忘れています。 わたしたちは、今、神に助けてくれと叫ぶ〈3:9〉ことが必要なのではないでしょうか。
(説教要旨)
「恐れるな小さな群れよ」
〈ルカ福音書12章31~32節〉
わたしが牧師になる決断をさせた短い文章があります。それは『世界』という雑誌に載っていた宮田光雄が書いたCGユングの紹介で、人間には2つのタイプがあるというものでした。ひとつは、所有することに人生の意義を感じるタイプ。一つは使命に生きるタイプでした。このタイプは「結局、存在していることに安心しているタイプなのだ」と書かれてありました。わたしは自分の人生を最初のタイプでしか思い描いていませんでした。一生懸命勉強し、適当な会社に入ってキャリアを積み、家庭を持ち、車を買い、家を買う。
しかし、使命に生きるタイプというものがあるのか・・・。そこで思い出したのは牧師という職業です。しかし、それが「結局、存在していることに安心しているタイプなのだ」という結論が何を言っているのか、その時は良くわかりませんでした。
今朝の箇所がある単元は〈13~34節〉で所有に関する話題という統一性を持っています。ここには3つの主題があります。①貪欲〈13~21節〉と②心配〈22~32節〉そして③簡素な生活の勧め〈33,34節〉です。今朝の言葉「おそるるな小さな群れよ」は、「心配するな」という段落の結論です。(ルカの並行記事にはこの言葉はありません)
イエスは、この心配は①神に対する信頼の欠如、②神の国(と神の義;ルカ)に対する関心の欠如、③貧しい人々に対する関心の欠如が現れているものなのだと言われます。CGユング言う使命感とは、神の国と神の義を求めることであったのだと思います。そして、「そのタイプは存在していることに安心しているタイプなのだ」とは、神への信頼があってはじめて可能なタイプなのだと今になって気が付きます。
わたしたちは、今、教会堂という大きな財産を所有するに至っています。その維持には大きな努力が求められます。しかし、この確認の言葉も記憶すべきです。
教会総会で会堂建築をする決議をした2016年春の直前、2015年11月の教会全体協議会で、わたしたちには会堂を建てる能力があるか否を検討した報告を会堂建築提案委員会がした時に、誰かが「会堂は宣教活動の手段であって目的ではない」と言った記録が残っています。わたしたちの人生に於いても、所有することは人生の手段であって目的はないはずです。わたしたちの人世が目指すところは神の国と神の義であって、その時に始めてわたしたちは心配せずに生きることが出来るのです。
(説教要旨)
「べタニアの復活物語」
〈ヨハネ福音書11章17~44節〉
べタニアはエルサレムから15スタディオン(約2.75km)のところにあります。歩いて1時間もかかりません。経緯はわかりませんが、イエスとその村に住むマルタとマリアらは特別に親しい関係にあったのでしょう。彼女らにはラザロという兄弟がいました。
11章の始めにべタニアのマルタ、マリアの兄弟ラザロが病気であることが書かれてあります。そのことが知らされた後イエスは2日間ラザロのところに行くのを躊躇します。〈17節〉に入ってイエスがべタニアに着いたときにはラザロは死んで4日経っていました。最初に姉のマルタがイエスを出迎えます。そして、〈ルカ10:38〉と同じような姉妹の性格が描写されます。マルタは「あなたがもっと早く来ていれば、ラザロは死ななかったのに」と非難します。イエスがマルタに「あなたの兄弟は復活する」〈11:23〉と言われるとマルタは「終わりの日の復活は信じています」と答えます。神の全き支配が始まる終末の時にすべての死者が復活する。これはファリサイ派の教義で、マルタはそのことを言ったのでした。イエスは、今、目の前にいるイエスを救い主と信ぜよと言います。即ち「わたしは復活であり命である。わたしを信じる者は決して死ぬことはない」〈11:25,26〉。と言われるのです。命あるものはすべて死にます。しかし、イエスは「わたしを信じる者は決して死ぬことはない」と言われるのです。今朝の箇所でいう「命」と「死」という言葉には何か別の解釈が必要であることが分かります。
命は、ただ生きているということを示すのではなく、神の救いの業(人類の救済への業)に入れられること、参与するを示してます。つまり、命の対義語はである死は、神の救いの業(人類の救済への業)に参与していないことを示しています。
今朝の箇所でイエスは「心に憤りを覚え、興奮して」と「涙を流された」という印象的な言葉があります。イエスはラザロの死を深く悲しんだのです。憤りは神への憤りです。
福音書にはイエスのよみがえりも含めてなぜ、このようなよみがえりの奇跡物語があるのか。
それは「わたしたちが信じるようになるため」〈11:42〉です。
何を信じさせるためか。神がイエスをこの世に遣わされたことを〈11:42〉、イエスが神から遣わされたメシア(救い主)であることを信じさせるためです。
「死人が生き返ることがあるか」は今朝の箇所の問題ではありません。復活(よみがえり)と命は、亡くなった方ではなく、生きているわたしたちの復活と命が問題にされているのです。
(説教要旨)
「新しい命」
〈マタイ福音書12章 38~42節〉
今朝の箇所もイエスとファリサイ派・律法学者との論争の場面です。ファリサイ派・律法学者が「何かしるしを見せてください」とイエスを試します。
「しるし」とは、例えば〈マタイ4:1~11、ルカ4:1~13〉の荒野でサタン・悪魔がイエスを試みる、石をパンに変え、神殿の端から飛び降りるというような目に見える奇跡のことです。
「何かしるしを見せてください」という言葉には、「あなたがもしもメシア(救い主)であるなら」という言葉が隠されています。
このような場合、イエスは奇跡を起こされません。イエス自身ではなく、ただ神だけが、イエスがメシアであることを証明できるのですから。
それはファリサイ派・律法学者にもよく分かっています。イエスの時代、いろいろな奇跡を示して「オレがメシアである」という人がたくさんいたのです。「何かしるしを見せてください」という言葉には、「あなたが、旧約聖書において神がわたしたちに約束されたメシアであるなら、その箇所を示して、あなたがその通りのメシアなのか、ここで証明してみてください」と言う意味も隠されています。
イエスは、これには応えます。旧約聖書にある二つの良く知られた物語を示します。
ひとつはヨナの物語です。ヨナが3日3晩魚の腹に居てそこから脱出したように、メシアは黄泉(ショエル)から三日目によみがえるとイエスは応えます。
もうひとつは〈列王記 上 10:1~13〉にある「地の果て」にある「南の国」(シェバ;今のイエメンかエチオピアのどちらかです)の女王がソロモン王を表敬訪問した物語です。異邦人(外国の人々)がイエスの福音を聞きに来るであろうとイエスは応えます。
イエスの2つの答えには、重要な共通点があります。それは、ヨナが預言をしたニネベの人々も、シェバの女王も、しるしを見ないで悔い改めた(神に回帰した)ということです。もうひとつの共通点は、イエスが今ではなく、いづれ起こることを示したことです。
つまり、これが実現するのか否かは、これを聞く人々の神への信頼(信仰)に託されたということです。 今日の結論は先週と同じ、イエスのよみがえりを証明する方法は、その人がよみがえるか(アナスタシス;再び立ち上がって歩く)か否かにかかっているのです。神の「あなたがたはそのままでよしとされている」との宣言にアーメンと答えて歩みを続けましょう。
(説教要旨)
「ガリラヤへ行け」
〈マタイ福音書28章 16~20節〉
最初の教会はどこで創立したのか。
変な設問だと思われるかもしれません。最初の教会が創立されたのはエルサレムではないか。当然の答えです。エルサレム中心主義の〈ルカ福音書〉とその続編の〈使徒言行録〉を読むと確かにそう書いてあります。
イエスの死後、故郷に帰ろうとする二人の弟子たちがエマオで復活されたイエスに出会う話があります。〈ルカ24:13以下〉 ルカ福音書によればイエスに出会った後に二人はエルサレムに引き返します。〈ルカ24:33〉、引き返してみると11人の弟子たちがエルサレムに居ます。マルコ16:12以下〉にも同じ話がありますが、二人がその後どこに向かったのかはっきり書かれていません。
マタイ福音書によれば、先週の箇所でイエスがマリアたちに現れて、「兄弟たちにガリラヤへ行くよう言いなさい」と言われ〈28:10〉、弟子たちはいきなりガリラヤで復活のイエスに会います。〈ヨハネ福音書〉の復活記述に比べてとてもシンプルな報告のしかたです。
たしかにエルサレムには教会が存在したでしょう。その教会はペトロ・ヨハネ・ヤコブなど12人の弟子たちが中心に活躍していたでしょう。しかし、わたしはエルサレムに教会ができるまで、(聖書の記述に反して~50日間ではなく)ずいぶん長い期間が存在したように思うのです。
弟子たちは、一旦自分たちの故郷ガリラヤに引き返し、それぞれの生活に戻ったのではないか。そして、故郷でイエスの復活の信仰を確立して宣教の意思を確認し合ったのではないか。つまり、挫折から立ち直り(復活;アナスタシス)までかなりの時間を要したのではないかと思うのです。
特にヨハネ福音書にあるティベリアス湖畔で弟子たちが漁をしている時に復活のイエスが現れた記事〈21:1以下〉を読んでそう思うのです。ティベリア湖(ガリラヤ湖)で、弟子たちは漁に出ます。しかし一匹も釣れない。そこにイエスが現れて船の右に網を下せと言われます。すると大漁になります。
イエスは魚を何匹か持ってきなさいと言われます。それを持って行き、パンと魚で朝食が始まります。弟子たちは日常生活に戻りながらイエスの奇跡に出会うのです。
今年の受難節の40日間のわたしの課題は「弱さの自覚」でした。故郷に戻った弟子たちにもそれが起こったのではないかと思うのです。
強さではなく、弱さの分かち合い。彼らの故郷で、「弱くて良いのだ。美しくなく、みっともなく、華やかでなくて良いのだ、神はこのままでよしとされておられるのではないか」と思えたのではないか。
これは、イエスの十字架の時の弟子たちの様子を読めば分かります。「イエスが十字架につけられるその日、わたしたちにはひとつも良いところがなかった」弟子たちは最初の教会でそう証したのでしょう。
弱さを分かち合う教会、わたしたちの教会もそうありたいものです。
(説教要旨)
「おはよう、マリア」
〈マタイ福音書28章 1~10節〉
ジェームス・キャロルの『コンスタンチンの剣』という本の9章に面白いエピソードがあります。ある大学の先生は、新入学生の最初の授業でこういう質問をします。
「イエスの信仰は何教であったか」。何人かの学生は「カトリック」と答えます。一番多い答えは「キリスト教」です。ごく僅かの学生が「ユダヤ教」と答えます。
「(イエスは)十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちよりよみがえり」(使徒信条)と告白するキリスト教を創立したのは、誰か。
「イエスはよみがえった」と言い始めたのは、イエスではなく、イエスの弟子たちです。もうすこし正確に言うと、今朝の箇所を読むとわかるように福音書記者たちがイエスの弟子たちのリストから、(女性なので!)除外したマリアたちです。彼女たちはイエスが十字架に死なれてもイエスとの関係を終わりとしなかった真正のイエスの弟子たちです。
「よみがえり=復活」という言葉の(聖書の原語であるギリシャ語でアナスタシス)の第一義は、「再び立って歩く」「立ち直る」という意味です。
死人がよみがえることなど科学的見地をもつわたしたちには信じられないことです。しかし、イエスの弟子たちは(もちろん、マリアたちを含めて)イエスはよみがえったと言い始めたのです。弟子たちは、自分自身が立ち直ることによって、イエスのよみがえりを証明したのでした。それ以外の証明方法はなかったでしょう。キリスト教の真髄は、特にイエスの復活は、その人の生き方に拠らなければ証明できないものなのかも知れません。
では、なぜ弟子たちは立ち直ることができたのか。弱さの自覚と、神からのわたしたちへの是認があったからだと思います。イエスは、まず、ダビデ王の再来としてのユダヤ独立のリーダーとしての期待に答えませんでした。イエスは、死刑囚として、人間の最も絶望的な姿を示します。誰も彼を助けようとはしませんでした。一緒に十字架につけられている人たちさえイエスを非難しました。イエスは、自分が助かろうともしませんでした。神は沈黙しました。
人々の願望に応えず、孤独で、自分だけ助かろうともしない。イエスが十字架で示したものは、人間の強さではなく、弱さだと思います。イエス自身がわたしたちの弱さに降りて来られたのです。「おはよう」。わたしは、このイエスの言葉に、神のわたしたちへの全き是認を感謝をもって感じるのです。
(説教要旨)
「メシア(救い主)への誤解」
〈マタイ福音書21章1~11節〉
今朝の箇所は、イエスがエルサレムに入城する場面です。実際は〈10節〉にあるような「都中のものが騒いだ」という規模ではなかったはずです。そうであったのならローマ軍が治安出動していたでしょうし、裁判でイエスがユダヤ人の王を自称していたか証言を得るのに苦労しなかったでしょう。
メシア(救い主)が来られて、わたしたちを解放してくれる。これは、旧約聖書に何度も神の言葉として登場し、人々はそれを信じて希望としていました。
特に、B.C.
63年にローマ軍がパレスチナを占領してからは、メシア到来の期待は高まりました。ダビデ王のような、戦争の天才がローマ帝国と戦い、ユダヤ独立を勝ち取るメシア。人々はそのようなメシアを期待していたのです。
イエスはロバに乗ってエルサレムに入城します。〈列王記 上
1:32~40〉の王の凱旋の場面に似せて、しかし、イエスはラバではなくロバに乗ってエルサレムに入ります。
民衆はイエスを歓呼して迎えます。「ダビデの子にホサナ」〈21:9、詩編118:25〉。
ホサナとは「救いたまえ」という意味のヘブル語です。凱旋する王にするように〈列王記 下 9:13〉人々はイエスを迎えます。
しかし、エルサレムの人々は、その後、イエスに失望します。弱かったからです。
遠藤周作は『キリストの誕生』という本の冒頭でこう書いています。
「イエスは同時代のすべての人間の誤解にとりかこまれて生きねばならなかった。みじかい生涯の間、民衆も敵対者も、弟子たちさえも彼をまったく理解していなかった。
味方である者も勝手な夢と希望とをイエスに託そうとした。イエスは自分の意思とは根本的に違った大衆の期待のなかで孤独だった」
強さ、美しさ、華やかさを披露することは簡単です。しかし、弱さ、みっともなさ、みすぼらしさを披露することが、なかなかできません。
イエスは今朝の箇所の後、十字架に向かって、弱さ、みっともなさ、みすぼらしさに向かってまっすぐにつき進みます。つまり、「神の力は弱いところに完全に現れる」〈2コリント12:9〉方向につき進みます。受難節最後の一週間をわたしたちの弱さを見つめて歩みたいものです。神はそこに働かれます。
(説教要旨)
「十字架への道」
〈マタイ福音書27章32~56節〉
受難節の第4週に入りました。今朝は、聖書の言葉の解説を止めて、イエスの十字架随想のような話をします。
世界的に勢力がある宗教は人間の3つの困難に取り組んできたと言われます。その3つとは「病・貧・争」です。
キリスト教もこの3つの困難に取り組んできたと言えます。病気と貧困と争いは私たちが遭遇する大きな困難です。しかし、キリスト教会は、「キリスト教を信じれば病気が治ります」とは言いません。「キリスト教を信じればお金持ちになれます」とも言いません。争いについては、家内安全の範囲を大きく超えています。キリスト教は、人間が普通に抱く願望に応えようとしません。現代人の態度を言い表して「今だけ、カネだけ、自分だけ」(鈴木宣弘『食の戦争-米国の罠に落ちる日本』)という言葉は印象的ですが、現代のキリスト教会はこの態度にも対峙的です。
なぜそうなのか。わたしは、その答えがイエスの十字架の姿にあるように思います。
イエスは、まず、ダビデ王の再来としてのユダヤ独立のリーダーとしての期待に答えませんでした。イエスは、死刑囚として人間の最も絶望的な姿を示します。誰も彼を助けようとはしませんでした。一緒に十字架につけられている人たちさえイエスを非難しました。イエスは、自分が助かろうともしませんでした。神は沈黙しました。
人々の願望に応えず、孤独で、自分だけ助かろうともしない。イエスが十字架で示したのは、人間の強さではなく、弱さだと思います。
イエスの十字架の場面で一人だけイエスを助けた人がいます。キレネ人のシモンです〈27:32〉〈マルコ15:21、ルカ23:26〉。シモンは自分からではなく嫌々ながらイエスの十字架を肩代わりして運びました。十字架は「イエスのこと」ではなく、「自分のこと」になってしまったのです。シモンは(無理やり)自分の十字架を自覚させられたのです。十字架が人間の弱さを象徴しているとすれば、無理やり「あなたは自分にある弱さを自覚し、それを背負うか?」とつきつけられたことになります。自分の弱さを認めること。これは勇気の要ることです。
イエスの十字架の記事から、わたしは、キリスト教会は、人間の弱さを認め合い、支え合う場所だと思うのです。
(説教要旨)
「自由な僕(しもべ)」
〈マタイ福音書20章20~28節〉
〈20節〉にある「ゼベタイの息子たち」とは、イエスの弟子ヤコブとヨハネのことです。
ガリラヤ湖の漁師でしたが、ペトロと同じく最初の弟子となったのでした。
彼らの母親はイエスに「王座に着くときにあなたの左右にわたしの子たちを座らせて欲しい」と頼みます。「この子だけは」と思う母親の気持ちも分からなくはないですが、この時彼女は大きな勘違いをしていたようです。つまり、神の国が到来する時、息子たちが「民を支配し」「偉い人」になる〈25節〉よう期待していたのです。
イエスは母親と弟子たちに向かって答えます。「偉くなりたい、いちばん上になりたいのであれば、皆に仕える者となり、僕となりなさい」〈26,27節〉。 「人の子(メシア)が、仕えるために、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように」〈28節〉
「命」(ゾーエ‐)は、「人生」と言い換えて良いと思います。
「身代金として」は、「贖い」という意味です。贖いとは、奴隷を金銭を支払って解放する行為でした。イエスの十字架はわたしたちを解放する行為であったと言うことができます。
Mルターは『キリスト者の自由』(1520)という本に、「キリスト者は、あらゆるもの、最も自由な主であって、何ものにも隷属していない。キリスト者は、あらゆるもの、最も義務を負うている僕であって、すべてのものに隷属している」と書いています。
キリスト者は、すべてのものから自由であり、すべてのものに仕えるものである。
この自由はどこから来るのか。この自由は神から与えられた恵みとしての自由です。
フスト・ゴンサレスは「当時の(カトリック教会との)論争で必要だったのは、人格的な高潔さではなく恵みによって義とされることの強調であった。つまり、(Mルターは)信仰者の生活態度ではなく神の恵みが重要だと主張したのである」と書いています。私腹を肥やしていたザアカイが「主よ財産の半分を貧しい人々に施します」と言ったのは、イエスから「今晩、あなたの家に泊めてくれないか」と頼んだからです。
ゼベタイの息子たちの母親の名はマタイ福音書においてもう一度登場します。イエスが十字架に付けられる場面です〈27:56〉。マグダラのマリアらと共にイエスの十字架を見届けたのでした。イエスが十字架につけられるのを見て「これはマズい」と思ったでしょうか。いや、彼女はおそらく息子たちと共に教会の設立に加わったのでしょう。
(説教要旨)
「ペトロの信仰告白」
〈マタイ福音書16章13~28節〉
福音書はイエスの死後に書かれました。イエスの死後30年ほどしてマルコ福音書が、ほとんと半世紀後にマタイ福音書とルカ福音書が書かれて「その時の様子」が文書になりました。 福音書の記事は、福音書が書かれた時の教会、あるいは共同体の様子が映し出されているのです。イエスが〈15節〉の「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」との問いにマタイ福音書は「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えます。マルコ福音書は「あなはメシアです」と答えます〈8:29〉。ルカ福音書は「神からのメシアです」と答えます〈9:20〉 それぞれ違いますが、それぞれの教会の信仰が言い表されているのです。
福音書の記事は読んだ通りですが実際はどうであったのか。ペトロだちはイエスをメシアだとは思っていなかったでしょう。イエス自身も自分はメシアだとは思っていなかったはずです。(「わたしがメシアだと誰にも話すな」〈マタイ16:20、マルコ8:30、ルカ9:21〉)
弟子たちによってイエスがメシアであると告白されるのは、イエスの死後であったでしょう。
イエスの十字架の受難までの弟子たちはどうであったのか。実際は、皆でエルサレムに上ったとたんにイエスはユダヤとローマの権力者たちによって逮捕され死刑判決を受け、ローマ帝国の政治犯として十字架につけられた。イエスは「このまま意思を貫けば殺されるだろう」と覚悟していたかも知れませんが、弟子たちには何が起こっているのか、分からないまま怖くなって逃げた。
最後の晩餐の後、イエスがペトロに「鶏が鳴く前にあなたはわたしを知らないというだろう」と言われる場面があります。〈ルカ22:32〉その場面で「あなたは立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさい」というイエスの言葉があります。
イエスが天に昇り、聖霊によって教会がたてられ、〈使徒言行録2章〉ではペトロは皆の前で堂々と宣言します。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを神は主とし、またメシアとなさった」。こうなるまでにペトロには「立ち直り」が必要だったのです。
イエスはペトロたちが立ち直ることを知っておられたのでしょう。イエスの十字架の死と復活によって、神の救いの業が示されることを知っておられた。イエスはペトロを諦めてはいなかったのです。
ペトロは今朝の箇所で教会における独特の地位が与えられているように見えます。しかし、彼は典型的な人間として、挫折し逃亡し失敗しながらキリストに従おうとする普通のキリスト者として描かれているのだと思います。
(説教要旨)
「受難の意味」
〈マタイ福音書12章22~32節〉
悪霊にとりつかれている人をイエスは治します。みんなは「この人はダビデの子(=メシア)ではないか」と思います。しかし、ファリサイ派は「悪霊の力ベルゼブルで治したのだろう。(だから、イエスはベルゼブルの仲間だ)」と考えます。そう考えていることを見抜いたイエスが「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」〈12:28〉と言われます。
イエスのファリサイ派への話は4段階に及んでいます。①どんな国でも内輪で争えば成り立たない〈12:25〉。 ②サタンがサタンを追い出したというのなら、それも内輪もめだ。成り立つはずがない〈12:26,27〉。③強盗の例えを示して、強盗はその家の一番強い者を縛り上げてから、家のものを奪うものだ〈12:29〉。④だから、言っておくイエスに逆らうものはその罪が許されるが、霊に逆らうものは許されない〈12:31、32〉。
今朝の箇所の冒頭にある「悪霊」という言葉はダイモニオンという言葉ですが、この言葉の歴史を概観することは今朝の箇所、特に「神の国はあなたたちのところに来ている」を理解するために有意義であると思います。
ダイモニオンは、ギリシャ・ヘレニズム世界においては、神々の諸力のひとつであって神(テオス)と置換できる言葉でした。旧約聖書において、ダイモニオンは神の使いに格下げされます。神の使いは役割分化して、神に仕えて人間に好意的な天使(アンゲロス)と人間に病気などの危害を加えるダイモニオンに変化します。新約聖書においては、悪霊はサタン〈エフェソ6:12〉の支配下に組み入れられます。つまり神の使いでもなくなり、神と対立する存在になります。(『神鬼学<新聖書大事典』)
つまり、前述〈12:26〉でイエスの言う「神の国の到来」とはサタンの支配に代わって神がこの世を支配することを宣言しているのであり、イエスが病気の人に出会い、悪霊(汚れた霊)を追放する業は、イエスによってサタンの支配が終焉させられようとしていることのしるしなのです。
20世紀に入って「わたしたちは2000年前に死んだ男と何の関係があるのか」という設問をした神学者がいます。この設問は「未だに終焉しないサタンの支配とのたたかいを諦めるつもりなのか」という設問であると思います。神の国(神の全き支配)が到来すれば、イエスを信じる者は必要なくなります。しかし、それまではイエスの受難の意味を身に帯びて、真理を指し示す霊の助により、イエスをキリストと信じる者が求められているのです。
(説教要旨)
「荒野で」
〈マタイ福音書4章1~11節〉
今朝の箇所は、〈ルカ福音書〉と〈マルコ福音書〉にもあって、イエスがヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けた記事の直後に編集されています。イエスが洗礼を受けられた時の、天からの「これはわたしの愛する子、わたしの心に適うもの」という言葉を証明するために書かれた伝承であると考えられています。
イエスは荒野で3つの誘惑に遭います。「悪魔に試みられた」と書かれてありますが、前述のことから、神様に試みられたと言ってもよいと思います。(マタイ福音書にだけある「(悪魔に試みられる)ために」という言葉)。
悪魔の試みへのイエスの3つの応答は、すべて〈申命記8:3、6:1、6:13〉の言葉から採用されています。つまり、イスラエルが直面した試練の順序に沿っています。
誘惑は、わたしたちにも身近なものですから、申命記の記事に照らしながら今朝の3つの誘惑を現代の言葉に置き換えてみたいと思います。
最初の誘惑は「石をパンに代えよ」〈4:3〉です。これは、お金持ちになることへの誘惑です。経済優先への誘惑との解釈は正しいと思います。
2番目の誘惑は、「宮の頂上から飛び降りて神が助けてくれるか試せ」〈4:5,6〉です。これは〈申命記6:16〉にある「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない」から推測する必要があります。マサの事件は、〈出エジプト記17:1以下〉にあります。つまり、イエスの悪魔への答えは「神は必ず助けてくれるのだから、助けてくれるのかどうか疑うな」ということです。
3番目は、「世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて」〈4:8〉誘惑する、権力をもつことへの誘惑です。これはある人々にはとても魅力的なものなのでしょう。しかし、聖書は、この世の権力の行使には懐疑的・批判的です。イエスがわたしたちに教えた主の祈りの最後にある言葉、「国とちからと栄とは限りなくなんじのものなればなり」との態度を貫きたいものです。
今朝の箇所の説明は、〈へブル人への手紙4:15〉にある「この大祭司(イエス)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」が一番適切なのだと思います。わたしたちの生涯も誘惑の多い荒野に彷徨っているようなものです。イエスが共におられることを信じて歩みたいものです。
(説教要旨)
「イエスの奇跡物語」
〈マタイ福音書14章22~36節〉
今朝の箇所も聖書日課に指示されている箇所です。イエスが水の上を歩いたという奇跡物語が書かれています。奇跡は起こるものなのか。長い間カトリック教会が聖人として列聖する場合、充分な証言が添えられた奇跡が不可欠な条件でした。(プロテスタント教会には超人的能力を持つ「聖人」という概念はありません。)
現在のわたしたちは、超人的奇跡については懐疑的です。「(奇跡とは)神による自然法則に対する違反行為である」(D.ヒューム)と言う理解が一般的になり、奇跡そのものが神の行為であるのか、神に反逆しているものであるのか矛盾が存在しているからです。「自然の法則に照らし、そんなことは(奇跡は)起こるはずはない」という理解が大勢です。
奇跡について注意すべきことがあると思います。それは、「奇跡を行ったからイエスはキリストである」と理解することです。これは間違いです。
福音書を丁寧に読むと「(福音書記者は)イエスが奇跡を行った」と伝えたいのか否か、疑問が生じます。イエスは「奇跡を行ってみよ。そうすればメシア(救い主)だと信じてやる」という要求には応えません。〈マタイ27:40、マルコ15:31、ルカ23:35〉
マタイ福音書においてイエスの病気癒しの記事が集中している8~9章の場面を読むと、イエスが病気を癒した後「このことは誰にも話すな」と命じています。〈8:1~4、5~13〉。中風の人を癒す場面では、彼を連れてきた「その人たちの信仰を見て」と書いてあります。〈9:1~8〉。12年間の長血を患っていた女性を癒してイエスは「あなたの信仰があなたを救った」〈9:18~26〉と言われます。二人の盲人を癒す場面では、イエスは「あなたがたが信じているとおりになるように」と言われ盲人を癒します〈9:27~31〉。奇跡が起こるか否かは、イエスの超人的能力にかかっているのではなく、わたしたちが信じるか否かにかかっています。
イエスが水の上を歩くのを見て、弟子のペトロが水の上を歩いてイエスに近づこうとしますが溺れます。ペトロが溺れたのは「信仰薄く、疑った」〈14:31〉からです。
奇跡は起こるのか。D.ヒュームに反して、わたしは起こると思います。奇跡は神の行為です。
会堂建築の度にわたしはパン5つと魚2匹の奇跡物語を思い出します。「パン5つと魚2匹しかありません。皆に食事を与えるのは無理」と言っているのに、イエスが差し出したパン5つと魚2匹を祝福すると5千人が満腹した。わたしたちはその奇跡を体験したはずです。
(説教要旨)
「イエスの癒し」
〈マタイ福音書15章29~31節〉
生涯のさまざまな困難の中で、病気になることは最大の困難と言ってもよいのかもしれません。病気を癒されたいと思うことは、生涯の最大の願いであるかもしれません。
最も古い大学の医学部は、神学部の中に設立されたのですが、現在、教会は病気を癒すことは病院に任せてしまい、「病気を治します」とは言っていません。
イエスを信ずれば病気が治ると宣伝する教会があり、教会に病気癒しを期待する方も居られますが、それはとても危険なことであると思います。
しかし、聖書を読むと、イエスはたくさんの病気の人を癒しています。教会は、病気を治すという本来の任務を放棄してしまったのでしょうか。
まず、設問したいのは、イエスの病気癒しの史実性です。イエスはほんとうに病気を治すことができたのか。聖書にあるイエスの病気癒しのモチーフには、オリエント世界に存在した例えば、ギリシャ神話のアスクレピオスのような「治癒神」の物語のモチーフが多用されていて、 (山形孝夫『治癒神イエスの誕生』) 聖書は本気で「イエスは病気を治すことができた」と伝えています。
しかし、医学が進歩した世界に住むわたしたちは、このイエスの病気癒し物語の史実性を疑い、この物語を暗示的・心理的に解釈しようとします。例えば、「見えるようになった」とは「物事を理解できるようになった」という意味である、という風に。
イエスが本当に病気の人を治すことができたのか、否か。わかりませんが、注目したいのは「癒す」という用語の意味です。
聖書に「癒す」と訳されている言葉は、イアオマイとセラペウオーという二つの言葉です。
イアオマイは、ローマ軍百人隊長の部下の中風〈マタイ8:8〉、ある女性の12年間の長血〈マルコ5:29〉の癒しの場合などに用いられていますが、〈ヤコブ5:16〉の「主にいやしていただくために罪を告白し、互いに祈り合え」のように、「ゆるす」と訳した方が良い場合があります。
セラペウオーは、イエスが「ありとあらゆる病気」〈マタイ4:24、ルカ5:15、6:17~19〉を癒した場合に用いられています。「病気を」と書かれてあるので、「癒した」という訳になったのでしょうが、セラペウオーの第一義は「仕える」「奉仕する」です。つまり、「ありとあらゆる病気の人に仕えた」と訳しても良いのです。
昔も今も、病気になったら孤独になります。
イエスは、実は、病気を治せなかったのかもしれません。しかし、福音書は病気の人に仕えるイエスを伝えたいのです。病気が治ることも大切でしょう。しかし、病気の人と共に居て仕えることも大切なのだと「癒し という言葉を勉強して、そう思うのです。
(説教要旨)
「マグダラのマリア」
〈ルカ福音書8章1~3節〉
マグダラのマリアの名は、福音書の中で11回登場します。「マグダラ」はガリラヤ湖西岸にあった町(魚の塩漬け場)の名前です。
今朝は、マグダラのマリアがどういう人であったかに注目したいと思います。
マグダラのマリアには、重い病気をイエスによって癒された、悔い改めた娼婦であるというイメージがつきまとっています。
今朝の箇所では「7つの悪霊を追い出して頂いた」〈8:2〉と書かれています。精神病であったという可能性が無いとは言えませんが、当時はさまざまな病気や身体障碍が悪霊(ダイモニオン)のせいだと理解されていました。
娼婦のイメージは今朝の箇所の直前に登場する「一人の罪深い女」〈7:37以下〉とマグダラのマリアが勝手に結びつけられたものです。
(ヨハネ福音書8:2以下の「姦通の女」とマグダラのマリアが結び付けられもします。例えば1965年の映画『偉大な生涯の物語』)
「罪深い一人の人間が悔い改める」。キリスト教会が好む美談ですが、マグダラのマリアは罪人でも娼婦でもありませんでした。
まず、彼女が本当に何かの病気であったとしても、〈ヨハネ9章冒頭のイエスの言葉にあるように〉病気の人は、罪人ではありません。「病気の原因は罪を犯したから」このことは、イエスによってきっぱりと否定されています。
そして、聖書を丁寧に読めば彼女が娼婦であったという証拠はどこにも見出せません。
しかし、現代に至るまで、マグダラのマリアが娼婦とむすびつけつけられているのは、「罪人であったのは、病気であったからだ」という病気と罪を犯すこととは現代では受け入れられないとしても「娼婦であった」ということは、現代のわたしたちにもなんとなく罪人であることの納得がいくので、無理やり「娼婦であった」ということになってしまっているのでしょう。
聖書を読んでわかることは、彼女は最初から最後までイエスと共にいて、イエスの処刑を見届け〈マルコ15:40~41、マタイ27:55、ルカ23:49〉、
復活のイエスの最初の証人になって〈マルコ16:6、マタイ28:7、ルカ24:4~12、ヨハネ20:17〉、
イエスの意思を引き継いだということです。特にヨハネ福音書とマルコ福音書は、イエスの復活を弟子たちに先立って証言したのは、「女性たち」ではなく「マグダラのマリア」となっています。
彼女が「イエスは復活された」というキリスト教会の最も重要な証の中核を担っていることがわかります。
今朝の箇所を読んで分かることは、女性たちはガリラヤ宣教の初めからイエスと共にいたということです。「奉仕していた(ディアコネイン)」という言葉は、12人の弟子たちの世話をしていたという意味ではありません。
ルカ福音書は無理やり、本来は神に仕える宣教の業を意味する「奉仕」という言葉に、「一行に」という言葉を付け加えて、弟子たちに仕えていたという意味合いにしてしまっているのです。
「奉仕」という言葉の意味合いは、宣教活動の最前線を担っていたという意味です。
でも、福音書を読むと、ペトロ・ヤコブ・ヨハネなどの男性の弟子たちばかり登場しますね。
福音書記者たちは、「女性は男性の後ろに下がって、男性に仕えるべき」という常識に囚われてしまっているのです。福音書ではぼんやりと薄められてしまっているマグダラのマリアや女性たちの活躍の話は受難節に向かってまだまだ続けたいと思います。
論証は続けなければなりませんが、イエスの一行は女性たちが大活躍をしていたのです。
このことは当時のユダヤ社会において異常なことでした。しかし、女性たちが宣教の最前線に立ち活躍するようなグループが形成された原因は、イエスの態度に「女性たちは男性の後ろに引き下がる必要はない」というはっきりとした態度があったからだと思います。
(説教要旨)
「イエスのエジプト避難」 〈マタイ福音書2章16~23節〉
「預言者によって言われていたことが実現した(実現するため)」というフレイズは、4つの福音書の中でマタイ福音書に一番たくさん用いられていますが、今朝の3つの単元で繰り返し3回用いられている「実現するため」「実現した」「実現するため」という言葉の「実現」は、口語訳聖書では「成就(プレオー)」と訳されていました。「成就」は容器がいっぱいに満たされた様子を表す言葉です。
〈使徒言行録17:11〉に「果たしてその通りかどうかを知ろうとして日々旧約聖書を調べていた」と書かれています。何が果たしてその通りなのか疑問であったのかというと、パウロたちがイエスがメシア(キリスト・救い主)であると言ったことについて調べていたのです。
ナザレ出身の大工の息子、エルサレムで死刑囚として十字架につけられたイエスという男が、わたしたちのメシアであるのか、否か。これは最初のキリスト教会の重大問題でした。
イエスがエジプトに避難したことは預言者ホセアが預言したことでした。〈ホセア書11:1〉イエスの誕生は、新しい出エジプト、神が大いなる右の腕をもって、イスラエルの民を救い出す行為であったのです。
次のヘロデが子どもを皆殺しにする単元は、わたしたちに強烈に出エジプトの記事を思い出させます。しかし、ここでは預言者エレミヤの言葉が引用されています〈エレミヤ書31:15〉。この言葉はバビロンに捕囚される民の嘆きの言葉です。メシア(イエス)は同胞イスラエルの民の悲しみと嘆きを背負う苦難の僕なのです。
3番目のエジプトから帰国する単元にある「彼はナザレの人と呼ばれる」〈2:23〉という言葉は旧約聖書のどこを探してもありません。荒井献が『イエス・キリスト』で「イエスはナザレで生まれ」と書いていることに反し、(荒井献が言うことは歴史的には正しいと思います)。マタイ福音書においては、ナザレは、イエスの生まれた場所、故郷ではなく、「イエスが引きこもる」〈2:22〉場所なのです。
〈3:23〉の「(ナザレという町に行って)住んだ」は 「 下に留まる」と訳したほうが良いことばです。
「ナザレから何の良いものがでようか」という言葉があったそうです。それくらい、ナザレは辺境の地として見下されていました。イエスは、ナザレに、下に降ったのです。
最初のキリスト教会は、「メシアがナザレから出るはずはない」という蔑視と闘い、見下される人々と共に歩むイエスを宣べ伝えたのです。
なぜ、福音書は「このことは預言者の言葉の成就である」と書いてこれに拘るのか。それは聖書を読み、その言葉が神の約束の言葉であると信じる人に限りない励ましと希望を与えるからです。
聖書はそこにある言葉を神の約束の言葉として信じて歩まなければ、間違いだらけの単なる面白いエピソード集か格言集です。聖書の中に神の言葉を見出して歩みを続けましょう。
「博士たちの到来」 〈マタイ福音書2章1~12節〉
今朝の公現日礼拝(ほんとうは1月6日です)でクリスマスの期間は終わります。
荒井献の『イエス・キリスト』(人類の知的遺産vol.12)にある、イエスの生涯についての書き出しは「イエスは今から約二千年前に、ガリラヤのナザレで生まれ、おそらく三十歳頃にユダヤの首都エルサレムにおいて、ローマのユダヤ総督ポンティウス・ピラトゥスの命により十字架刑に処せられた」と書かれ、イエスがベツレヘムで生まれたことは端から無視されています。今朝の脇役とも言えるヘロデ大王は実在しましたがB.C. 4年に死亡しています。
なぜ事実とは違うことが書かれているのか。聖書を読む時に、これを問うことは大切です。そこには著者の大切な意図(メッセージ)が存在するからです。イエスがベツレヘムで生まれたと書いてあるのはイエスがダビデ王の家系であることを示し、〈2:6〉に書かれてある預言(神の約束)が実現したことを示す為です。
なぜヘロデ大王が登場するのか。著者が4年位の誤差に拘らなかったとも考えられますが、イエス誕生の時代が残忍な支配の時代であったことを示す為に彼が登場しているのでしょう。
博士たちが導かれる星は、B.C.
12年に現れたハレー彗星であるとか、B.C. 6年の土星と木星の大接近であるとか言われて、これもイエス誕生の年とずれていますが、人間がコントロールできない神の力、つまりヘロデ大王の支配力との対比が描かれているのだと思います。
星と共に絵になるのが、当方からイエスを拝みに到来する博士たちです。(原語のマギやマゴイは「博士」と訳して良いでしょう。彼らは立派な天文学者でもありました)。3つの贈り物への意味付けや、贈り物の数に規定された博士の数や来歴の意味付けはたくさんありますが、いづれも著者の意図を越えてしまっています。
マタイ福音書がイエス誕生物語に博士たちの到来を描くのは、異邦人を蔑視する教会の体質改善の為です。ユダヤ人に罪人として蔑視された異邦人を代表して博士たちが登場しているのです。
マタイ福音書が書かれたA.D.80年頃のキリスト教会は、異邦人と共に歩むことを試みていました。異邦人は今の言葉で言うと外国人です。今、日本で異邦人と共に歩む教会が、社会が達成されているかと言うと、まだまだそうではありません。博士たちは「共に歩もう」とのメッセージを携えてイエスのところにやって来たのでしょう。
「世の逆転」 〈イザヤ書60章1~10節〉
2週間前、〈イザヤ書59章〉を読んだ時に、この預言は、B.C.
538年からそれほど遠くない時期の、バビロン捕囚から帰還し国の再建に努力する人々に語られていると説明をしましたが人々は、神への不信をつのらせています。神はもはや我々に無関心になったのではないか。「神の手が短くて我々を救えないのではないか。主の耳が鈍くて聞こえないのではないか」〈イザヤ59:1〉。
ところで、バビロン捕囚の人々の経験とは、実は「神は、われわれの希望を叶える神ではない」ことを知ることであったと思います。戦争に勝たせてくれるはずの神は、バビロンの神マルドゥークに負けてしまい、われわれの前から姿を消した。戦争に勝つという期待に神は応えてくれなかったのです。神は姿を消したままなのか。
神への信仰は、わたしたちの過去の経験は全く役に立たないのです。聖書日課で今朝の箇所が選ばれた理由は、〈1,2節〉にあるでしょう。イエスの降誕は神の約束の成就なのです。預言者はわたしたちの将来について、神を主語として語ります。経験を積み上げて得たパラダイムをひっくり返し、神はわたしたちの過去の歩みを、成功や得た名誉、失敗や後悔を全く意味のないものにし、わたしたちに新たに生まれ変わることを期待します。
最近、石丸実先生の蔵書から有賀鉄太郎が1956年に書いた『歩みは光のうちに』を発見しました。この本にあるキーワードは「道」です。有賀先生の人生のキーワードが「道」だったと言っても良いと思います。わたしたちは、その道を引き返すことはできない。
「私の年齢も一年はおろか一秒だって若返らすことはできない。そのような事実を事実として認めることを信仰は要求しているのである」(p13) わたしも「学生時代に戻りたい(もっと勉強しておけばよかった)」と思うことがありますが、それは不可能で数日後に2021年に突入するしかありません。やれることは、今、残り少ない人生の時間を勉強に使うことです。
神社の神様のように、わたしたちの願いを叶えるわけでもない、エデンの園に蛇を置かれた神に、わたしたちは何を期待するのか。いや、期待しても無駄です。神がわたしたちに約束されることを、わたしたちは信じるしかない。選択肢は信じるか、否かです。
今朝の箇所でイザヤはユダの国の繁栄のようすを預言しています。ミディアンからシェバからタルシシから交易の為に人々が集まってきます。
しかし、ユダの国の事態はまったく逆のものでした。わたしたちは今たとえそうではなくても神の約束の言葉に生きましょう。
「闇をみつめる」〈マタイ福音書1章18~25節〉
イエスの誕生物語は、もうひとつの受難物語であると言われます。うきうきとしたクリスマスの雰囲気とは裏腹に、イエスの誕生物語は暗さにみちています。
最近の研究によれば、イエスの母マリヤは性的な被害を受けた女性を代表しています。東方からイエスを拝みにくる博士たち(マギ;占星術師)は、ユダヤ人たちに「罪人」とされて嫌われていた異邦人を代表しています。イエスの飼い葉桶にまっさきにかけつける羊飼いたちはバカにされていたユダヤの最下層の人々を代表しています。
神は、そのマリヤに「恵まれた女よおめでとう」と言われ、羊飼いたちに「わたしは民全体に与えられる大きな喜びを伝える」と言われ、博士たちには星によって救いの場所を示し、ヨセフには「インマヌエル、神は共に居られる」〈1:23〉と告げるのです。
ページェントであれば、マリヤ、3人の博士、羊飼いたち、つまり、いじめられる側が登場して、〈ルカ福音書〉の誕生物語に登場するローマ皇帝のアウグストゥス、マタイ福音書に登場するヘロデ大王がページェントに登場するとすれば、この二人は、いじめる側の配役です。つまり、イエスの誕生物語は、いじめられる側といじめる側の大逆転が描かれているのです。
クリスマスについて、2週間前にローマ教皇のベネディクト16世がアドベントに発表したコメントを紹介しました。「現代の消費社会の中で、この時期が商業主義に(クリスマス・セールに)「汚染」されているのは、残念なことである。降誕祭の精神は、「喜び」である。この喜びとは、内面的なもので、外面的なものではない。」今朝、説教でお話したいことは、ベネディクト16世が言った「クリスマスの内面的な喜び」についてです。イエスの誕生物語は、わたしたちの内面に、わたしたちに存在する闇に目を向けています。
ギリシャの哲学者タレースは、「人生で一番簡単なことは何か」と質問をされて「他人に忠告することだ」と答えます。次に「では、人生で一番難しいことは何か」と訊かれて「自分で自分を偽らずに生きることだ」と答えます。パウロが〈ロマ7:24〉で「哀れ悩める人かな、此の死の身体より我を救はん者は誰ぞ」と書いてあるように、わたしたちは他人に見せる自分と自覚せる自分自身の間に自己分裂をきたしています。パウロはそれを「哀れ死せる人よ」と言うのです。
クリスマス・ツリーのはじまりは、16世紀にドイツのライン地方で12月24日に演じられていた「失楽園」〈創世記2:15以下〉の舞台装置でした。最初にクリスマス・ツリーを家庭に持ち込んだ人々は、神への回復を望む深い悔い改めのしるしとしてこれを持ち込んだのです。
今朝の物語の主人公イエスの父ヨセフは、自己分裂の只中に在る人物として登場しているように思います。マリヤを妻に迎えれば、彼は世の嘲笑と非難に生きることを覚悟しなければならなかったでしょう。2000年前もそうであったし、ほんとうに残念なことですが今もそうです。被害にあった女性が非難され、辛い思いをし、彼女を庇う人たちが非難をされる。彼は、密かに離縁しようと思い、しかし、深く自己を、自分の闇を見つめたのだと思います。その時、ヨセフに「ちょっと待て」と天使が現れて「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい」と言うのです。
「人間の闇をわたしは何と名付けよう。わたしはその闇を希望と名付けたい」(マイスター・エックハルト)
神は、悔い改める人(自分の暗闇をみつめる人)に、希望を与えられます。わたしたちは「恥ずかしくて、とても他の人に言えない」と思いこんでいる、その闇、自分だけが自覚しているその闇は、神によれば、その人に存在する希望なのです。
イエスの受難物語が、イエスが葬られた墓場で終わらないように、イエスの降誕物語も、神が、圧倒的な力によって、わたしたちの死せる姿を無意味にし、あなたがたは神の救いの業の中に生きているのだから、再び立って歩けと告げるのです
「贖う者として」 〈イザヤ書59章12~21節〉
イザヤが今朝の預言をしたのは、イスラエルの民がバビロンからエルサレムに帰還した時でした。(今朝の預言者イザヤは、39章までのイザヤではなく、第2イザヤと呼ばれる人です)
しかし、エルサレムは荒廃していました。荒廃とは為政者たちの腐敗でもありました。
「なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ、果てしなく見捨てておられるのですか」〈哀歌5:20〉 神への非難。この言葉は神を責めたてていますが、これは彼らの真なる神への敬虔の表現でもありました。バビロンでの捕囚から帰還し、なんとかして社会を立て直そうと試みた人々の正義への嘆きでもあったのです。
なぜ、神は沈黙をしているのか。イザヤは、神が人間の苦しみに無関心となったからではない、我々人間が目の前にある為政者の暴力と抑圧に目を向けていないからだと言います。
イザヤは広場(裁判という意味です)の状態に注目します。司法の場面に注目して社会秩序の崩壊を嘆いているのです。そもそも「それはおかしいのではないのか」と訴える人がいない。〈59:4〉「こうして正義は退き、恵みの業は遠くに立つ。まことは広場でよろめき、正しいことは通ることもできない」〈59:14~15〉。これを神の目から見れば、誰ひとり主と人間との間に立って執成す者がいないということになります〈59:16〉。
国全体を無秩序のカオスに引きずりこむ者たちに対して神が厳しく報復をする期待を持つことも可能でしょう〈59:18〉、神がバベルの塔の建設者にしたように、ノアの時代に洪水を起こしたように。しかし、イザヤはここで一転して神の慈悲を期待するのです。〈59:20〉。
イザヤは、「主は贖う者としてシオンに来られる」〈59:20〉と預言します。「贖う(パーダー)」とは「買う」という意味ですが、財産、家畜、人間を買い戻す行為を指す言葉です。例えば、ある人が奴隷となった場合、近親者が金銭を払ってその人を解放する行為が贖うという行為でした。
神はどのようにわたしたちを、奴隷になっていたわたしたちを贖い、解放されたのか。
神は、金銭を支払うのではなく、その一人子をこの世に送り、最悪の死刑囚としてその子を十字架につけることによって、わたしたちを解放されたのです。
ヨハネ福音書には「神はそのひとり子を賜る(差し出す)ほどにこの世を愛された」〈8:32〉と書いています。イエスは活動しているうちにたまたま死刑囚になったのではありません。イエスの誕生には神の救済の計画と、一人子を差し出す痛みがあったのです。
「救い主イエスの家系 」
〈マタイ福音書1章 1~17節〉
イエスの誕生物語はマタイ福音書とルカ福音書にしか存在せず、内容はそれぞれ違いますが、イエスがベツレヘムで生まれたということは一致しています。
イエスはほんとうにベツレヘムで生まれたのか?おそらく違うと思います。しかし、聖書にははっきりと、イエスの故郷ナザレから南へ130㎞も離れたベツレヘムで生まれたと書かれています。
なぜ、福音書記者はそう書いたのか。そこを探ることが大切です。福音書は、イエスはダビデの子孫であると言いたいのです。ベツレヘムは、ダビデ王の故郷です〈サムエル記上16:1~13〉。ミカ書には「ベツレヘムからメシア(救い主)が生まれる」と預言されていました。〈5:2〉
イエス誕生の時代背景として忘れてならないのは、ユダヤはローマ帝国の占領下にあったということです。ユダヤのメシア誕生の期待は、ユダヤ独立の期待でもありました。戦争の天才であったダビデ王のようなメシアが期待されたのです。
イエスは、人々の期待に応えて強大な軍事力と天才的戦術を駆使するようなメシアであったのか。マタイ福音書は、イエスは人々の期待に応えなかったと伝えています。マタイ福音書がわたしたちに伝えたいのは、このことです。あなたがたは、軍事力によって平和がもたらされると思いこんでいるかもしれないが、本当の平和は隣人愛によってもたらされる。そう伝えたいのです。
もうひとつマタイ福音書がわたしたちに伝えたいのは、わたしたちの期待に応えるのではなく、全く自由な意思によってわたしたちに救いをもたらす神のご計画です。
今朝のイエスの系図には4人の女性たちが登場します。ユダに対して娼婦を演じたタマル〈創世記38章〉、カナンの遊女ラハブ〈ヨシュア記2章〉、異邦人のルツ〈ルツ記1章〉、ダビデの姦淫相手バト・シェバ〈サムエル記下11章〉。異邦人と遊女は新約聖書において「罪人」として数えられています。ユダヤの常識では、彼らは「罪人」であったのです。
イエスが異邦人と遊女に「あなたがたは罪人ではない」と言われたのと同じように、今朝のイエスの系図も「神は、あなたがたが罪人と思いこんでいる、その人々を用いて、救いの歴史を全うされるのだ」と言いたいのです。
「礼拝と宣教-Ⅲ」
〈ローマの信徒への手紙 10章4~21節〉
宣教という言葉によく似た言葉に、伝道という言葉があります。
伝道は「派遣する」という意味の、宣教活動の特別な形態を指す言葉です。
今朝の箇所は、パウロが伝道することの大切さを強調している箇所です。
今日お話したいことは、「わたしたちが伝道したからその対象になった方が救われたのではない」ということです。
長い間、キリスト教会は、神がまず教会を救い、教会がこの世の人々を救うと考えてきました。
ヨーロッパ植民地主義が始まると、「蛮人」を救う為にヨーロッパのキリスト教国は全世界に伝道を開始しました。(先住民には迷惑な話です)
植民地の争奪戦であった第2次世界大戦後、戦後アメリカから派遣された宣教師、・・・マッカーサーは日本が共産主義化することを恐れて、2000人の宣教師を送りこみました。そうでない宣教師もいましたが、多くの宣教師たちにとって、日本人は教え導くべき人々、文明や礼儀を知らない人々でした。「文明や礼儀を知らない」と言っても、アメリカ式の文明や礼儀を知らないだけのことなのですが。日本人はれっきとした文明も礼儀も持っていたと思います。
「キリスト教は世界で最も高度な宗教である」という思想が生まれたのも植民地主義の時代です。
『アリストテレスとアメリカインディアン』(L.ハンケ 1974 岩波新書)という本にはロシアからアメリカ大陸に派遣された、面白い宣教師の話が載っています。
その宣教師は、先住民(アメリカインディアン)を伝道する為に来て、彼らの社会に入り込んだのですが、その宣教師は本国宛て報告書に、「インディアンの生活や社会を見ると、われわれが目指す神の国が実現されているから、もう彼らにキリスト教を伝道して救う必要はない」と報告しています。
今朝は、2回に亘って紹介した1961年の教団の宣教基本方策と63年の宣教基礎理論の、神学的根拠である、「神自らの宣教(Missio Dei)」の神学を説明したいのですが、さっきのロシアから派遣(ミッション)された宣教師の話は、「これで十分だ」と思えるほどMissio Deiを説明できています。
でも、もうちょっと説明します。
Kバルトはすでに1922年に発表した『ロマ書講解』で下記のように書いています。これは異邦人について書かれている箇所です。
「彼ら(異邦人)が、われわれの『神の言葉』にかくも無頓着なのは、彼らが早くからわれわれなしにそれを聞いているからであり、早くから自分自身でそれを告知しているからである。世俗者や非聖者や無信仰の者が赤裸々の惨状にいながら、あるいはまた自由な明朗さの中に暮らしていながら、われわれの説教や牧会の対象にはならず、われわれの福音化運動や宣教や弁証や救済運動の対象とならず、またわれわれの「愛」の対象とならないのは、われわれが立ち上がって彼らを憐れむよりずっと先に彼らが神の憐憫によって捜し出され、すでに神の義の光の中に立ち、既に赦罪にあずかり、すでに復活の力と服従の力とを分有し、既に永遠を恐れ、また既に永遠に望みをかけ、既に実存的に神に身を投じているからである!」(吉村善夫訳
p.442)
わたしたちが「まだ救われていない人」に「憐れみの」救いの手を差し伸べるずっと前に、神は、その人を神の光のうちに、神の恵みのうちに入れられて
いるのです。
〈9:20〉にある預言者イザヤの言葉も、「彼ら(異邦人)は、わたしの伝えたいことをすでに知っていて神の救いの中に存在していた」という意味です。
〈10:14〉には、こう書かれています。これが、わたしたちが伝道をしなければならない意義です。
つまり、この世界の人々は、「わたしは存在する価値のない人間だ」とは思っていても、その人は神に愛され、その存在をありのままでよしとされているとは気付いていません。
わたしたちは、そのことを伝える必要があるのです。必ず何人かの人たちは「みんなはわたしのことをそう思ってはいないし、わたし自身もそう思わないけれども、神様がそういわれるのであれば、アーメン(その通りです)」と言ってくれると思います。
「礼拝と宣教-Ⅱ」
〈ローマの信徒への手紙 12章1~2節〉
礼拝と宣教は、それぞれ別の小部屋において考えられてきました。不幸なことに、教会においては、このふたつが統合できず、分裂をしてしまうことがありました。
宣教に関心を示さない一方のグループは、宣教を一種の行動主義者としか考えません。あるいはせいぜい礼拝のわざの副産物としか考えません。この時、キリスト者の集団は、宗教的演技を行うにすぎない集団となり、関心をこの世ではなく、自分の教会員にだけ集中し、社会全体に対してはほとんど責任を覚えません。
他方、礼拝に関心を示さないグループは、礼拝を外向きの姿勢に対照的な祭儀的内向性としか考えません。この時、このグループは、自分がキリストの僕であることを忘れて自己賞賛を起こします。(『現代における宣教と礼拝』 (“Worship and Mission”1966 J.G.デーヴィス)
『日本基督教団史資料集』は、1961年10月に教団常議員会で可決された「宣教基本方策」を解説してこう書いています。
「この『宣教基本方策』は、教団が一九五〇年代に莫大な外国資金により伝道したにもかかわらず、福音が大衆に浸透しないし教団の教勢は伸びないという反省から出発し、日本の宣教第二世紀に向かう教団の基本方策を打ち出そうとした。それは、すべての人々への宣教の責任を果たす教会、この世に奉仕する教会の形成ということであった。そこで強調されたのは、自己中心的な殻を破り社会的責任を負う教会への『体質改善』と、地域社会に対して連帯的に働きかける『伝道圏伝道』ということであった。」(第5編 p179)
礼拝と宣教は、イエスにおいて分裂はしていませんでした。礼拝と宣教という小部屋に「奉仕」という補助線を引いて考えてみます。旧約聖書においては「奉仕」(service)という言葉は、「務め」と訳されて祭司やレビ人が守るべき儀式的な任務を示していました。しかし、イエスによって「奉仕」という言葉の意味は大転換をします。奉仕とは、人々に仕えることを指すようになったのです。奉仕の現場が礼拝から外に、わたしたちの日常生活に転換したのです。〈ディアコニア憲章、マタイ25:31~40〉
今朝の箇所は、「自分の体を聖なるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたの成すべき礼拝である」と書かれています。
わたしたちが神に献げる礼拝の場所はどこか。日曜日の午前中だけではないのです。毎日の日常生活が、わたしたちの、神にそのからだを献げる礼拝の場所なのです。
「礼拝と宣教-Ⅰ」
〈創世記18章16~33節〉
旧約聖書に登場する都市は現在もその地名のまま存在している場合がたくさんありますが、死海の沿岸にあっただろうと思われる、ソドムとゴモラの街は存在していません。
死海南岸の湖底に都市の遺跡が発見されていて、ソドムとゴモラの街は火山活動によって死海に沈んだと考えられています。
ソドムを語源とする「ソドミー;同性愛」は偏見に満ちた解釈です。〈エゼキエル書16:49-50〉にある「お前の妹ソドムの罪はこれである。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。」という指摘が正しいでしょう。
今朝の箇所のメッセージは、「少数であることを恐れるな」です。アブラハムは自分が塵芥にすぎないことを強く自覚しています。しかし、彼はソドムを滅ぼそうとする神に必死になって「ソドムを滅ぼさないで欲しい」と交渉をします。
京葉中部教会の建物は、わたしたちの教会の姿勢を良く表現していると思います。ひとつは外にむかって大きく開かれた玄関と礼拝堂の窓です。わたしたちの教会は「煩わしき世をしばし逃れる」場所ではありません。この世の煩わしさがどんどん持ち込まれることを覚悟している教会です。
この世のすべての方々と共に主の宣教の業を、つまり主が既にこの世にされている平和と自由と平等を共に享受したいからです。
京葉中部教会が設立する前年(1961年)に日本基督教団が策定した「宣教基本方策」、特に教会の体質改善をわたしたちの教会が忠実に実行してきたことは、今後も継続されるべきものと考えます。
会堂を建てたことによって、わたしたちは建物の維持や管理するさまざまな課題に直面するでしょう。これはこれでみんなで楽しみましょう。
そして、目を大きくこの世に向けましょう。日本社会に於いてたった1%弱、少数であることは何も問題がありません。わたしたちは地の塩・世の光〈マタイ5:13f〉なのです。
アブラハムが神様に向かってソドムとゴモラを滅ぼすことは待ってほしいと執成したように、わたしたちもこの世に在って神に執成す働きをしたいものです。
「永遠のすまい」
〈2 コリント信徒への手紙5章1~10節〉
今朝は永眠者記念礼拝の日です。これはもともとカトリック教会で定められた行事で「聖徒の日」と呼ばれていました。 聖人、有名な人たちを挙げると、サンタクロースの原型であるStニコラウス(12月6日)Stバレンタイン(2月14日)。そんな風に「この日は○○の記憶日」としていたら、聖人とされる人が365人以上になってしまった。それで、カトリック教会は、ひとまとめにして11月の第1週に「聖徒の日」として祝おうということになったようです。
今朝の聖書の箇所は、パウロという人がギリシャのコリントという町にある教会に書いた手紙の一部ですが、「地上の住処である幕屋」と「天にある永遠の住処」という言葉でふたつのわたしたちの住処が示されています。
「天幕」とは、テントのことです。ユダヤ人たちは伝統的に遊牧民としてテントで暮らしていました。ここで言う天幕は住居というくらいの意味です。
「永遠の住処」とは、天国のことです。わたしたちが亡くなった方に「また天国でお会いしましょう」と呼びかける天国のことです。天国はどこにあるのか。空のず~っと上のほうにあるのか。
天国は、この世で重荷を負うて歩むわたしたちの「天国はある」と信じるわたしたちの心の中にあるのです」
人の死は、すべての終わりではありません。神が、その人の命を永遠に引き受けで下さるのです。亡くなった方々のよみがえりはあります。
イエスが十字架につけられた後、弟子たちは「これでイエスのグループは解散」と思い、それぞれに故郷へ帰り始めました。
二人の弟子は故郷に向かって歩き始め、エルサレムからちょっと離れたエマオという村で、復活されたイエスに出会いました。しかし、二人の弟子は、一緒についてきたその男がイエスだとは気が付かなかったのです。一緒に本人の目の前でイエスについて話をし、「一緒に泊まりましょ」と誘いました。しかし、一緒に食事をしている時に目の前にいる人がイエスだと、ようやく気が付いたのです。
その時、二人は「道で話しておられるとき、わたしたちの心は燃えたではないか」と言います。
亡くなった方々を思い出す時、わたしたちの心が燃える時があります。その時が、亡くなって今は天に在る方々が、わたしたちの心によみがえった時であるとわたしは思うのです。
「川を渡る」
〈ヨシュア記3章9~17節〉
エジプトの荒野を彷徨って、イスラエルの民は、とうとう約束の地カナン(わたしたちがパレスチナと呼んでいる地域)にたどり着こうとしています。
エジプト脱出のリーダーであったモーセは、カナンに入ることはできずヨルダン川の東に葬られています〈申命記34章〉。今朝の箇所は、イスラエルの民がいよいよヨルダン川を渡る記事です。
ヨシュア記の概要は、イスラエルの民によるカナン占領物語です。〈10節〉にあるカナン先住の人々を侵略・占領する物語です。ヨシュア記に多民族への侵略・占領への反省はありません。(史実は違います。B.C. 1200年頃までに、イスラエルの民は分散してチグリス・ユーフラテス流域からパレスチナに移動しカナンの人々を避けて山地にかろうじて定住し始めたと考えられています。)しかし、侵略・占領への反省がないからヨシュア記を根拠に1948年の80万人のパレスチナ人たちを難民としたイスラエル建国を正当化することはできません。
注意したいのは、この記事がいつ書かれ、読まれたのかです。ヨシュア記(D資料)は、ユダヤの国が無くなるかもしれない危機の中で書かれ、読まれたのです。ヨシュア記は侵略と占領の時代に、これを正当化するために書かれたものではありません。疲弊する民を励ますために書かれたものなのです。
ヨルダン川を渡ろうとする民の先頭に契約の箱が進みます。モーセがシナイ山で神から下された十戒が刻まれた石が入れられた箱です。イスラエルの民が闘いに臨むとき、契約の箱は共に在って、神が共におられることを人々に知らせたのでしょう。
神が共におられることを確信する時、わたしたちは、その先に何があろうとも前進することができます。神が共におられることを忘れた時、わたしたちは頼りになるのは自分だけなので不安になり、歩みは停滞します。わたしたちがした会堂建築も、同じことが経験されたのではないでしょうか。
聖書は〈歴代誌下 35章3節〉を最後に、契約の箱への興味を突然失います。それで良いのです。目に見えるものはあてにならないのです。大神殿さえも神の居場所ではないのです。わたしたちは天に住まう神の大いなる救いの業のみを証して歩みを続けたいものです。
「断食問答」
〈マルコ福音書 2章18~22節〉
信仰者として敬虔であることは必要であると思います。自分の敬虔さを確認するために、あるいは表現するために禁欲的になることも否定はできないと思います。
今朝の箇所のテーマは、バプテスマのヨハネのグループが登場し、彼らとの対比が強烈であるので、「われわれは禁欲的になるべきか、否か」 とのテーマであるかのように読めてしまいますが、今朝の箇所が負うている課題は、(つまり、今朝の箇所の「生活の座」は)、「最初の教会に存在していた排除主義をどう克服するか」なのです。
誰を排除する問題があったのか。罪人を、異邦人たちを排除する問題です。最初のキリスト者たちの多くはもともとユダヤ教徒でした。律法を厳格に守り、安息日を守り、割礼を守っていました。ユダヤ教の教えによれば、取税人〈2:13以下〉は罪人でした。異邦人も罪人でした。
しかし、イエスをキリストと信じる教会において、罪人とされてきた人々と共に教会を作り、罪人とされてきた異邦人と共に教会をつくる新たな課題が生まれたのです。最初の教会において、「罪人たちとは一緒に礼拝をし、一緒に食事はできない」という人々が登場したのでしょう。この問題をイエスと人々〈2:18〉との問答で解決しようとしているのです。
イエスはその批判者たちに一連の類比をもって答えています。第一の類比は、花婿と婚礼の客の類比です。「花婿(イエス)が一緒にいるのに婚礼の客(教会の信徒たち)は断食ができるのか」
ここで注意したいのは、初期の教会はユダヤ教徒の習慣である断食を守ろうとしてたのです。
イエスは、第2の類比において断食を行っている人も擁護しています。断食をするか否か、禁欲的になるか否かはたいして重要な問題ではないからです。
イエスはさらに続けて、新しい葡萄酒とそれを入れる革袋の類比を行っています。
新しい葡萄酒とは、イエスがキリストであるという新たな信仰です。それを入れる革袋とはイエスを信じる群れであるキリスト教会のことです。継ぎ当てをしながら〈2:21〉、つまりユダヤ教徒としての信仰に修正(継ぎ当て)をしながらキリスト教会を形成するか、否か。
京葉中部教会は、設立の初めから「ノンクリスチャンの人々とは一緒に宣教活動はできない」とは言ってきませんでした。
わたしたちの教会は、もうすでに主が宣教の業をされてわたしたち全てに祝福と恵みを下さっている、これをすべての人々と確認し分かち合い、主の宣教に参与することを継続する。今日、もう一度、これを確認したいと思います。
「いつも喜びなさい」
〈1テサロニケ信徒への手紙 5章12~28節〉
聖書を読む時には、「著者はどのような状況に在って、何の必要があってこれを書いたのか(生活の座)」を探ることが大切ですが、パウロは今朝の箇所の〈14節以降〉を教会のリーダーたちに書いているようです。(牧師という役割はまだ教会に存在していません。「長老」はパウロの用語にありますが、その言葉は今朝の箇所に使われておらず「導き戒めている人々」〈5:12〉と書いています)
今朝の箇所には導き戒めるべき人たちについて「怠けている者」「気落ちしている者」「弱い者」が挙げられています。
「怠けている者」は良い訳ではないようです。ギリシャ語アタクトイは、「反抗する者」という意味で、導きと戒めが存在すれば反抗が存在するのは当然です。
「気落ちしている者(オリゴプシコス)」はそのまま理解して良いと思います。〈イザヤ35:4〉
「弱い者」とは、常識に囚われてしまい自由ではない者という意味です。例えば律法にある食物の制限に囚われて何でも食べることができない人のことです。〈コロサイ2:20〉。
〈16~22節〉の7つの命令句は、各節の最初がギリシャ語πから始まっていて、整った「教え文書」の初期のかたちなのではないかと言わています。
その冒頭、「喜んでいなさい」〈16節〉。「文句を言いなさい」ではありません。パウロはテサロニケ教会の様子について報告を受け、テサロニケ教会にもいろいろ問題はあるのだろうけど、「喜んで」います〈1:2、1:6~7、3:20〉。これは牧師としては良く分かる勧めです。パウロはテサロニケ教会に文句を言う箇所ではなく、喜ぶ箇所を見つけようとしているのです。そこに神の働きを見出し、神に祈り、感謝しているのです。
〈19、20節〉は、先週お話した再臨の時が遅れていることについて、その教えを否定する者が(預言を否定する者が)現れたことを心配しているようです。「聖霊とは、神と人間を真理で結ぶものである」(Kバルト)。パウロは「霊の火を消すな」と教えていいます。
教会を導き戒めるのは、人間である誰かではなく神です。パウロがテサロニケに伝道に入った時、テサロニケの教会の人々がパウロの言葉を「人の言葉ではなく、神の言葉として受け入れ」〈2:13〉たように、テサロニケの教会は、この手紙に神の言葉を見出したのでしょう。
「主の日は来る」 〈1 テサロニケ信徒への手紙5章 1~11節〉
最初の教会には、強い再臨(イエスが再び来られること)の信仰が存在していました。福音書が書かれた理由は、イエスの再臨がすぐにはありそうもないと皆が思い始めたのでイエスの記録を残そうと思ったからだという説もあります。
パウロは、テサロニケ教会宛ての手紙をA.D.50~52年頃にコリントで書いたと考えられています〈使徒言行録18:1-5〉〈1テサロニケ3:6〉。
先週の箇所は、パウロが「死者たちがキリストの再臨の時によみがえることができるのか」という質問に答えていますが、今朝の箇所はキリストの再臨の時期についてです。(これもテサロニケの信徒たちから質問されたのでしょう)
パウロは将来的終末論でもあり、現在的終末論でもあります。パウロは、再臨の時が、即ちイエスが再び来られる時が、すぐに来ると信じています。では、再臨の時はいつくるのか。パウロと福音書によればいつ来るのか分からないと書いてあります。そう読むと「将来的終末論か。終末論は将来についての言説なのだから、そう読むのは当たり前だ」と思います。
しかし、今朝の箇所では再臨の時は必ず来ると信じて歩みなさいと書いてあります。「あなたがたは暗闇の中にいるのではなく」〈5:4〉、「光の子、昼の子」〈5:5〉なのだから。
どんなに暗闇の世に在っても、あなたがたは、主が照らされる光の中に生きていなさい。パウロはそう言っています。〈5:9〉こうなると現在的終末論だと言うことができます。
例えば、差別の全くなくなる日がくるのか。軍備と戦争がなくなる日がくるのか。わたしは必ず来ると思います。これはそう信じているという信仰の内容、希望のもちようです。(将来的終末論)。パウロは、これを「救いの希望を兜として」〈5:8〉と表現しています。
差別することの反対概念は何か。わたしは尊敬することだと思います。〈5:13〉他者を差別しながら生きるのか、他者を尊敬しながら生きるのか。わたしは他者を尊敬しながら生きようと思います。軍備と戦争の反対概念は何か。わたしは「悪をもって悪に報いる」〈5:15〉ことではなく、善を行うことだと思います。(現在的終末論)。パウロはこれを「信仰と愛を胸当てとして」〈5:8〉と表現しています。みなさん、将来への希望をもちつつ、今、主の光に照らされている者に相応しく、すべての人と励まし合いながら歩みましょう。
「からだのよみがえり」 〈1テサロニケ4章13~18節〉
おそらくテサロニケ教会の信徒の一人が亡くなったのでしょう、パウロは教会の人々を慰めるだめに今朝の箇所を書いています。
しかし、その内容はわたしたちにはちょっと理解しがたいものです。
BRガヴェンダという人が書いた注解書にはこうあります。
「現代のキリスト者は1~3章の親しげな言葉は取り入れるかもしれないし、〈4:1~12〉の倫理的教えは歓迎する(あるいは少なくとも我慢する)だろう。しかし、(今朝の箇所の)天国は上にあり、そこには降ってこられるイエスが居られる。耳慣れない大きな音が彼の訪れを告げ、信仰者たちはイエスに出会う。現代の読者にとって、これは慰めの言葉ではなくおとぎ話の言葉である」
理解し難いのは、「既に眠りについた人たち」〈13,14節〉が「復活する」という記述です。
亡くなった方のからだ(体)の蘇りなど、あるのか?
聖書に登場する「からだ(体)」という言葉の意味は、日本人が日常的に使う「からだ」という言葉と少し違いがあるので、ちょっと説明しなければなりません。
聖書に日本語で「からだ」と訳されている言葉は、原典のギリシャ語で「サルクス」と「ソーマ」という二つの、意味が違う言葉が使われています。
サルクスは目に見え、重さがあり、かたちがある肉としての体です。死ねば朽ちてなくなる存在です。
ソーマは、目に見えない体です。
J.A.T.ロビンソンは、こう言っています。
「人間がからだを持っているのではない。人間がからだなのである」
わたしは、ソーマとは、その人の生き方、あるいは生き様という内容を持っている言葉であると思います。
パウロは、「あなたがたには、死んでも朽ちてなくならない体というものがある」と言っているのです。つまり、「あなたがた(キリスト者の)生き方には、あるいは生き様には、あなたがたが死んでもなお残る体がある」と言っているのです。
エジプトにもよみがえりの信仰はありました。でも、ソーマという理解は無かったので、蘇った時に肉(サルクス)が残っているよう、遺体をミイラにする必要がありました。
サルクスが滅びてもなお残るキリスト者の体(ソーマ)は、どこに残るのか。
ソーマは、この世に、わたしたちの「生き方」に残るのです。
ソーマは、神様の業に参与し続けるわたしたちの生き方に残るのです。
今朝の箇所は、葬儀や記念会で良く読まれる箇所です。その人を記念する(覚える)とは、パウロによれば、その人の生き方が、神の救いの業の歴史に位置づけられることです。
先のBRガヴェンダは注解書でこう書いています。
「あらゆる教会に共通の一つの関心事は、悲しんでいる者を慰めることである。
パウロの時代の文学や手紙に特徴的なことは、適度の悲しみという強迫観念である。過度に悲しむことはみっともない、とされるので、文学や手紙の著者たちは、死は避けられないもので、受け入れなければならないという説得によってその悲しみを薄めようとする。
2000年間、その戦略は変わってはいない。人々は、死んだ者たちはよりよい場所へ行ったのだと考え、その人はもう苦しむことはないだろうと言い、あるいは、その人は天国からわたしたちを見守っていると語ったりする。
しかし、パウロは驚くほど違った戦略をとる。彼は死んだ者たちを、神はこの世において何をなされるのかという文脈の中に置く。彼らの物語は(亡くなった信徒たちの生涯は)神の物語の一部として意味を持ち始めるのである」
パウロは今朝の箇所で、あの人は、神の救いの物語を語っていたではないか。あなたがたは同じくその神の救いの物語を信じて、神の救いの歴史の中に歩んでいるではないかと言っています。
そして、イエスが再びこの世に来られる時、神の救いを信じていたあの人たちは、イエスと共に蘇るのであるとテサロニケの信徒たちを励ましたのです。
死はわたしたちのたたかうべき相手です。
そして、死は、神様にとっても、たたかうべき相手なのです。
神は、わたしたちの人生を、死によってむなしく終わらせません。
神は、イエスが再びこの世に来られる時、わたしたちを蘇らせ、わたしたちの人生を、死によってむなしく終わらせることはないのです。
「キリストの住まい 」
〈エフェソの信徒への手紙3章14~21節〉
〈エフェソの信徒への手紙〉は、本当にエフェソの教会に宛てたものなのか、疑問視されています。初期の写本には〈1:1〉にあるようなエフェソの地名がありません。
そして、この手紙は本当にパウロが書いたものなのかも疑問視されています。パウロは彼としては異例の3年間の長きに亘ってエフェソに滞在したのですが〈使徒言行録20:31〉、この手紙にはその3年間のことが一切書かれていません。ですから、使徒言行録に書かれてあるパウロのエフェソ滞在の様子は、今朝の箇所を読む参考にはなりません。
この手紙の著者はパウロを名乗ってはいますが、〈コロサイの信徒への手紙〉を書いた人と同一人物だろうと思われます。二つの手紙には共通する用語がたくさんあります。
この書簡の著者は、強く教会の一致を望んでいたことは確かです。おそらく、これがこの手紙が直面する課題だったのでしょう。
キリストの住まいは、「あなたがたの心の内」〈3:17〉であると言っています。「あなたの」ではなく「あなたがたの」と書いてあるのは「教会の」と同じ意味です。
この書簡の著者は、「キリストがわたしたちの心の内にある」と同じ意味ですが、「愛に根差し」「愛にしっかりと立つ者としてくださるように」と言っています。この述語の主語は〈3:16〉にある「御父(神)」です。「神がわたしたちをそのようにして下さるように」という意味です。
教会の一致には、わたしたちの努力に先立って神の業が働いているのです。(「その霊により、力をもって」〈3:16〉)
〈3:18〉以降は、「キリストの愛が」即ち「神がキリストの生涯において示された、わたしたちへの愛が」どれほど測りがたいものであるかが書かれています。
「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか」〈3:18〉は、「それを測ることはできない」という意味です。「広さ、長さ、高さ、深さは○○センチメートルです」と言うことができるとすれば、それは「母親の涙は、水分〇%、塩分〇%」と言っているようなものです。重要なのは、神とわたしたちとの関係性です。神がわたしたちをどれほど愛されているかを、わたしたちがどれほどに自覚しているのか。著者は、ここに教会の一致を成すカギがあるとみているのです。
「断 罪 」
〈ヨハネ福音書7章53節~8章11 節〉
今朝の箇所は、余りに有名で皆に印象深く覚えられている箇所です。しかし、注解書はこの箇所に重大な意義を見出してはおらず簡単に注解を済ませています。
というのは、今朝の箇所全体はカッコで括られていますが、9世紀以前の写本にはこの箇所はないのです。この箇所は9世紀頃に付け加えられたものと考えられています。
この物語はいろいろと疑問が生じる物語です。まず、姦通罪はモーセの律法(十戒、レビ記20:10、申命記22:22)によれば、男女とも刑罰を受けることになっていますが、今朝の箇所で問題になっているのは、女性の「罪」だけです。もっと問題なのは、ヨハネ福音書全体においてイエスは、わたしたちに「あなたがたは(罪に定められているが)罪人ではない」と言われているのに、〈11節〉で「もう罪を犯してはならない」と言っています。この言葉はヨハネ福音書全体の文脈を乱しています。
イエスは、女性を取り囲む人々すべてを「罪あり」と断罪することによって、この女性の罪を免じているように読んでしまいますが、9世紀にこの物語がつけ加えられた理由は〈15節〉にある「あなたがたは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない」という言葉(7章52節から8章12節に飛んで今朝の箇所を読み飛ばすと意味が通じます)を説明するためのものだと解釈されています。物語のモチーフは〈ダニエル書13章〉の「スザンナの物語」から採用されたのでしょう。
新約聖書全体において、イエスが「あなたがたは罪人だ」と断罪する場面はマタイ福音書の自分たちは正しいと思い込んでいる律法学者に対する2か所を除いて存在しません。イエスは罪人とされている人々(取税人や遊女や病気の人々)に「あなたがたは罪人だとされているが、実は罪人ではない」と宣言されるだけなのです。
ですから、〈11節〉の「もう罪を犯してはならない」というイエスの言葉をヨハネ福音書の文脈に合わせて好意的に解釈すれば、「罪人を発見したがっている人たち(主に律法学者のおじさんたち)に気を付けて、罪人だと言われないようにしなきゃね」と言われたのかもしれません
2020年8月30日の礼拝は信徒の証礼拝でした
「神からの真理」
〈1 コリント2章11節~3章9節〉
今朝の箇所の前半、2章はパウロが「霊」についていろいろと語っています。そして後半の3章は、パウロがなぜ霊について語らなければならなかったのか、その事情が分かる箇所です。 パウロとコリントの教会が直面している事情とは、教会の分裂です。初代の牧師パウロを支持する派と後任の牧師アポロを支持する派に分かれてしまっていたようです。
パウロは、今朝の箇所でパウロ派、アポロ派のどちらが正しいのかを判定しようとしているのではありません。この2派は、(あたりまえの話ですが)どうも「わたしのほうが正しいのだ」と言い合い、(ここからが問題です)、わたしたちがなぜ正しいのかというと、わたしたちは神からの霊によって示されたことを言っているからだと言い合っていたのです。 双方とも神は正しい方であるとは信じています。そして、わたしたちの主張は神の霊によって示されたものであるから、わたしたちの主張が正しいのだと言い合っていたのです。こうなると、どれくらい熱狂的な信者であるかの勝負になってしまったようです。
3章に入って最初の4節は、パウロが成人vs幼児、固い食物vs乳という比喩を用いて霊的な発達について述べ、等級をつけることができるかのように思わせる箇所です。パウロは霊的成熟度の分類をしているのではありません。信仰的熱狂者に対して「自分たちは成熟し、霊的であるとしているようだが、気の毒だが、実はあなたがたは未熟で(霊の反対概念の)肉に属している」と非難しているのです。「お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいるということになりはしませんか」〈3節〉。
使徒言行録が伝えるようにイエスが天に上り、そして、弟子たちに聖霊が降りました。神の業を証する弟子たちが「的外れ」にならないためにです。教会とは聖霊が降る場所です。では、教会は真理を体現している場所かというとそうではありません。聖霊の働きとはわたしたちを真理に向かわせようとする働きです。
〈2:16〉「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか」(〈イザヤ40:13〉の引用)
真理の前に「わたしたちは正しい」と言い張ることはできません。わたしたちは、ただ「なにが真理であるか」と探究する者の群れです。そして(2:16では「しかし!」)パウロは、対立する両派を、ただキリストに向かわせようとするのです。神の知恵はイエスの死において決定的に表れたからです。
「この世に囚われず生きる」
〈1 ヨハネの手紙 5章 1~5節〉
〈ヨハネの第一の手紙〉は、言葉遣いや内容から第二・第三の手紙と同じ著者によるものであって、この三つの書簡の著者は伝統的に福音記者のヨハネ、同時にイエスの弟子ヨハネであると考えられてきました。
ヨハネは今朝の箇所において「この世に囚われず生きよ」と勧めています。
今朝の箇所においては、「世に打ち勝つ」という言葉が3回繰り返されています。この言葉は「勝利を得る」(NRSV)という風にも訳される言葉です。
わたしたちは、何によって世に打ち勝つのか。「勝ち組」という言葉があるそうですが、それば、お金がたくさんある生活をしている、あるいは高い地位に在る人という意味のようです。
ヨハネが言っている「世に打ち勝つ」こととは、お金があること、他者を支配する権力があることではありません。真理に生きることです。イエスがゲッセマネの園で逮捕される直前に「わたしはすでに世に勝っている」〈ヨハネ福音書16:33〉と言われたように、囚われの身であっても真理に生きることが、今朝の箇所に言う「世に打ち勝つ」という生き方です。
今朝の箇所でイエスを神の子と信じる者は、世に打ち勝つことができる〈5:5〉と書かれてありますが、イエスはこの世においてはローマ帝国に処刑された敗北者です。しかし、ヨハネはそのイエスがメシアであると信じる者こそが神から生まれた者であり、この世に打ち勝つことができるのだと言っているのです。
南アフリカのアパルトヘイトは、法律によって住む場所、食事をする場所、学ぶ場所等ありとあらゆる事柄が白人と非白人とに分離され、黒人には選挙権はなく、給与は白人の20分の1から6分の1でした。長い長い人種差別と人権回復のたたかいが続きました。
ヨハネスブルクの大司教であったD.ツツは、まだアパルトヘイトが廃止されていない1988年に政府に向けてこう言っています。「あなたがたは既に負けている。我々はあなたがたをこちら側に、勝利の側に招待しよう。なぜならあなたがたが守っているものは悪だからだ」
わたしはツツ司教の「あなたがたを勝利の側に招待する」という言葉が好きです。ツツ司教は、人種差別政策を継続しようとする人々に、あなたがた自身が実は囚われの身になってはいないか。共に「真理はあなたがたを自由にする」〈ヨハネ8:32〉という言葉に生きようではないかと呼びかけたのです。
「荒廃の認識」
〈エレミヤ書9章1~11節〉
わたしたちは、二度と戦争をしてはならないと決意していますが、戦争を始めていなくても、「自国は今、正しい道を歩んでいるわけではない」との認識は、再び戦争を始めないために必要な認識ではないでしょうか。預言者エレミヤはそのことを鋭く今朝の箇所で問うています。
今日は、75年前、長崎に原爆が投下された日です。今朝は皆さんと共に原爆が投下された時刻に黙とうをしたいと思います。
残念ながら、今も核戦争の危機は存在しています。核兵器の廃絶は、軍備と戦争のない世界を望む者にとって火急の課題です。核兵器廃絶の可能性はないのか。わたしはあると思います。今朝は、ジョージ・ザベルカという従軍牧師の紹介をしたいと思います。
1945年8月9日、カトリック教会の神父ジョージ・ザベルカはテニアンの米軍基地にいました。彼は米空軍の従軍牧師として働いていたのです。彼が日本に爆撃に行くB29のクルーの為に祈祷をするように言われ、そこに行くとアイルランドのクルーたちが居ました。ボックスカーのクルーは本来アメリカ兵たちでしたが、出撃直前にアイルランドのクルーに替えられ、カトリックの神父であった彼が呼ばれたのでした。ボックスカーに原爆のファットマンが搭載されていることはジョージ・ザベルカは知りませんでした。午前2時45分、ボックスカーはテニアンを離陸して午前11時2分に長崎に原爆を投下しました。
ジョージ・ザベルカは戦後しばらくアメリカの原爆投下は正しいことだと思っていました。しかし、
1984年に、彼は長崎に行き、「アメリカの原爆投下は間違えだった」と謝罪したのです。(彼が謝罪した集会は教会主催のものだったようですが、わたしはその記録を見つけていません)
米国の世論は、まだまだ「広島と長崎に原爆を投下したことは正しかった」というものです。原爆を開発し、1970年代まで米核戦略チームの重鎮であったハロルド・アグニュー博士は広島を訪問し、こう言っています。「私は原爆の投下について絶対に謝罪しません。原爆を投下する方が簡単だった。たった一発ですからね。毎日毎日、空爆するより簡単だった。(被爆者の)お二人は生き残っただけで幸せですよ。死んだ人も大勢いるんだから」
一方、ジョージ・ザベルカが原爆投下について謝罪したのは、1960年代にマルチン・L・キングたちの公民権運動に参加するようになり「自国は正しい道を歩んでいるわけではない」と考え始めたことが彼に大きな影響を与えたようです。(George Zabelka “Blessing the Bombs”)
今朝のエレミヤが言う「荒廃」は、人々に人間相互の関係を支配する崇高な理想~公正と信義が失われていることでした。G.ザベルカはこれに気が付いたのだと思います。
「水の上にパンを投げよ」
〈コヘレトの言葉11章〉
今朝の箇所の冒頭〈11章1節〉は、口語訳聖書においては「水の上にパンと投げよ」と訳されています。「今していることは無駄だったということには決してならない」という意味の言葉で、皆に良く覚えられている言葉です。無駄とならないのは、そのパンを神が活かしてくださるからです。そのような信仰を表す言葉でもあります。
今春は、『洗礼を受けるあなたに』の他にもう一冊の本を共同執筆し出版しました。憲法学者、弁護士、市民運動に携わる人々、キリスト者27名が共同して深瀬忠一という憲法学者の人と学問を紹介する本を書いたのです。今朝は深瀬先生の紹介をしながら、「水の上にパンを投げよ」との聖書の言葉を味わいたいと思います。
深瀬先生は、1927年に生まれ、13歳の時に陸軍幼年学校に入学しました。敗戦の時(1945年)には陸軍士官学校の生徒でした。その後、東京大学法学部に入学して憲法を学び、1953年から1990年まで北海道大学法学部の教授として札幌に暮らし、敗戦後に浅野順一牧師から洗礼を受けた、熱心なキリスト者でもありました。
今朝は深瀬先生が「平和的生存権」という概念を確立した一つの裁判を紹介します。それは恵庭事件と呼ばれている自衛隊が憲法違反であるか否かを問うたことで知られる裁判です。1962年12月、北海道の恵庭にある牧場の野崎健美さんと美晴さん兄弟は、乳量検査の日に隣接する陸上自衛隊演習場で実弾演習を続けたことに抗議して射撃号令を伝える通信線を自衛隊員の目の前でペンチで切断した。 1963年3月、野崎兄弟は自衛隊法121条にある「防衛の用に供するものを損壊」したとして起訴された。弁護団の主張は「自衛隊(法)は、憲法9条に反しており、効力を有しない」(効力の無い自衛隊法で野崎さん兄弟を起訴することはできない)というものであった。しかし、野崎健美さんは、弁護団の論の構成に違和感を持っていた。通信線の切断は乳牛牧場での生活を守るための行為である。自衛隊の行為から身を守るための正当防衛として通信線を切断したのであり、これは憲法が保障している正当な権利である。この野崎健美さんの主張を受け入れたのが弁護人の深瀬先生であり、ここから平和的生存権の主張が生み出されたのでした。
憲法9条に明記され、イザヤ書2章で神が約束されている軍備と戦争のない世界は、現実味のない夢物語ではないと思います。平和に生きようとするわたしたちの不断の努力によって、戦争と軍備のない世界は必ず現実のものになる。それが、深瀬先生とわたしの信じるところであります。
「難破した船で」
〈使徒言行録27章27~44節〉
航海物語は、わたしたちを惹きつけるものです。ギリシャ神話のオデッセイ物語、巨大な魚に飲み込まれるヨナの物語、ガリラヤ湖で嵐に会うイエスと弟子たち、十五少年漂流記、ロビンソン・クルーソー物語・・・・。海は命を脅かすほどの限りなく危険な場所であり、しかし、物語の主人公たちはなんとかぎりぎりのところで生きながらえます。わたしたちが航海物語に惹きつけられるのは、わたしたち自身が人生という海に翻弄されながらも、航海の旅を続けて行かなければならないからなのだと思います。
使徒言行録には10の航海が記録されていますが、主語が「われわれ」となっている今朝の箇所は、著者がローマに向かうパウロの旅に同行していたことを示しています。
パウロはローマで裁判を受ける為に護送されている囚人でありながら、2百数十人が乗っているこの船でリーダーシップを発揮し、ローマ兵を率いる百人隊長ユリウスはパウロを親切に扱い〈27:3〉、パウロの助言を受け入れ〈27:31〉、兵士たちが囚人たちを皆殺しにしようとするのを思いとどまらせて〈27:43〉います。嵐に翻弄される船の中に在って、パウロと百人隊長は共同して助かる道を探るのです。
海の嵐は、神の手のうちにあります〈詩編95:5〉。パウロは、天使によって〈27:23〉自分自身が神の手のうちに在り、船にいる全員を助ける使命を負っていることを自覚しています。彼の使命とは「わたしたちは必ずどこかの島に~つまり、わたしたちが助かる場所に~打ち上げられる」〈27:26〉との希望を述べることです。
パウロは、船で聖餐式を行います。イエスが行ったように彼はパンを取って神に感謝の祈りを捧げ、それを裂いて食べます〈27:35〉。嵐の中でそれが何の役に立つのか。「聖餐式とは、嵐の只中に分かち合われる神への信頼を示す食事である」(WHウィリモン)。
助かるかどうか分からない嵐の船の中で行われた聖餐式と同様、わたしたちが教会で行う聖餐式も、わたしたちが嵐の中で、ただ神にのみ希望を抱いている印として、わたしたちが神を信頼しているという証としての式なのです。
嵐の船の中で執り行われたこの奇妙な食事にはそのような意味があったのですが、それに参加した人々(ユダヤ人、ローマ兵たち)にはどうであったのか。わたしたちの聖餐式と同じく、何人かはただ空腹を満たす食事ではないことを理解したでしょう。
「正しい者も正しくない者も」
〈使徒言行録24章10~21節〉
パウロはエルサレム教会に献金を渡す為に弟子のヤコブと会い、そうしているうちにユダヤ人たちに命を狙われます〈21:17~21〉。パウロが異邦人の間にいるユダヤ人たちに「子どもに割礼を施すな。慣習に従うな」〈21:21〉と言いふらしている、「民と律法とこの場所(エルサレムの神殿)を無視することを教えている」〈21:28〉というわけです。
使徒言行録中、パウロは常に死の危険にさらされています。エルサレムではユダヤ人たちによる3回のパウロ殺害計画が記録されています〈21:31、23:12~15、25:3〉。パウロが命を長らえるのは、ローマ帝国の部隊長たちの働きによります。
著者のルカは、「キリスト教はローマ帝国の法律に反することは無く、罪は犯していない」と使徒言行録全体によって主張したいのです。 それは千人隊長クラディウス・リシアの総督フェリクスへの手紙〈23:26~30〉で顕著に現れています。
なぜ、そう書くことが必要だったのか。「著者ルカは、いったい誰に向けて使徒言行録を書いているのか」と設問してみることは有意義だと思います。
著者ルカは、最初の教会の信徒たちに向けて書いているのです。つまり、ルカが言いたいのは、キリスト教会は、堂々とローマ帝国内で合法的に活動することができるのだということ。そして、キリスト者はファリサイ派のように〈23:8〉復活を信じる忠実なユダヤ教の一派であって、堂々とユダヤ人たちの間でも活動ができるということです。このルカの最初のキリスト者たちへの励ましが必要であることは、自
分がキリスト者であることを喧伝しようとは思わないわたしたちによく納得できることです。
もうひとつ、パウロが総督フェリクスに弁明した今朝の言葉にある「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を神に対して抱いている」〈24:15〉について。
「復活する」 とは、「再び立ち上がる」という意味です。「希望を神に対して抱く」とは、「神が必ずそうして下さると信じている」という意味です。難問は「正しい」(デカイオーン)「正しくない」(アデコーン)という言葉です。これは無罪の者も有罪の者もという意味だと思います。罪であるか否かは、その社会・その時代の基準に拠るはずです。「神はその人が有罪であるか否かは問わずに、再び立ち上がらせて下さるとの希望を抱いている」と訳して良いと思います。
「命の回復」
〈 ホセア書14:2~8節〉
紀元前8世紀の中頃からアモス、ホセア、イザヤ、ミカなどの預言者が相次いで登場し、彼らの言葉は記録され、保存されました。ホセアは、「最初の記述預言者」と呼ばれるアモスに次いで登場した、イスラエルがアッシリア帝国に滅ぼされるB.C. 722年直前の北イスラエルで活躍した預言者です。
アモスとホセアはほとんど同時代に人ですが、この二人の性格と関心はまったく違ったものです。二人が共通する認識は、イスラエルの神からの離反ですが、アモスは社会正義と神の普遍性を強調し、ホセアは神の愛を掘り下げます。
ホセアの家庭環境がそうさせたとも推測されていますが、ホセアにとって神とイスラエルは、夫と不倫する妻の関係なのです。
エヒウ王がエズレルの谷で女王イゼベルを始めバアルの礼拝者を皆殺しにしたことがありました〈列王記下10章〉。アモスに言わせれば社会正義が回復したことになります。しかし、ホセアはこの虐殺事件について「エヒウの王朝は滅びるであろう」と非難をします〈1:4〉。
女王イゼベルが持ち込んだバアル礼拝とその祭司勢力は、イスラエルの信仰に脅威となったでしょう。
〈2章〉においては、ホセアは神とイスラエルの関係を夫と妻の関係として描いています。バアルはイスラエルの恋人なのです。その恋人の魅力は、豊穣。「パンと水と羊の毛と麻と油と飲み物をわたしにくれる」〈2:5〉魅力なのです。ホセアにとってイスラエルの理想の状態とは、エジプトを脱出して荒野を彷徨い、神に求める時代でありました。ですから、ホセアは、彼にとって理想的なイスラエルの姿を示すために、〈11章〉に至って神とイスラエルの関係を父と子に例えています。〈11章8,9節〉は浅野順一という神学者は「旧約聖書の最も感動的な言葉のひとつ」と表現しています。
この言葉は、ホセアの妻ゴメルに語った言葉でもあるのでしょう。どうあっても、「わたしはわたしの激しい怒りをあらわさない」
はたして北イスラエルは、アッシリア帝国に滅ぼされ、歴史から姿を消しました。アモスの預言は現実のものとなりました。しかし、イスラエルへの神の愛は残りました。それはイエスのわたしたちへの贖いに示されているのです。
「イエスが教えた祈り」
〈ルカ福音書11章1~4節〉
今朝は、わたしたちが親しんでいる「主の祈り」の解説です。マタイ福音書6章にもイエスが教えた祈りがあります 〈6:5~13〉。マタイ福音書では、祈りは短くて良いことが強調されています。今朝のルカ福音書では、どう祈ったらよいのか分からない弟子たちに祈りを教えたという話になっています。
わたしたちがする祈りには、2つの種類があります。ひとつは、個人的な祈りです。神と自分だけの対話です。わたしたちは置かれている状況がそれぞれに違いますから祈りの内容が皆と同じ訳はありません。個人的な祈りは誰かに聞かれる必要もありません。 誰にも知られたくないことを、しかし、神様だけはご存知のことを、神様と対話することができるのが個人的祈りです。
詩編にも個人的な祈りがたくさん編集されています。例えば「わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」との言葉で始まる〈詩編22〉は、皆が集まる礼拝で読まれていますが、主語が「わたし」となっていて、その内容は神様との取っ組み合いと言っても良いほどの個人的な祈りです。
もうひとつの祈りは、「公同(共同)の祈り」と呼ばれているものです。主の祈りもそのひとつです。わたしは「公同の」 という言葉の意味は、単に「礼拝中の」という意味ではないと思います。「公同の」という言葉の意味を再検討しなければならないと思います。この世に在る全ての人を代表して神の前に立つ意識が表明されたものが「公同の」という意味だと。
主の祈りの主語に注目すると、「わたしたち」となっています。「わたしたち」とは誰か。
礼拝に集う人たちだけのことを言っているのではありません。例えば「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」という句があります。礼拝に集うわたしたちは、今、食が足りているかも知れません。しかし、この世に在る全ての人について言えばそうではありません。
昨年7月のUNWFPの「世界の食料安全保障と栄養の現状」報告書によると、2018年は推計8億2000万人が十分な食料を得ることができませんでした。これは、2017年推計の8億1100万人から上昇し、世界の飢餓人口は3年連続で増加しています。世界規模では9人に1人の割合で餓死寸前の状態にあり、17秒に1人の割合で餓死しています。
ですから、「わたしたち」が主語となっている主の祈りは、わたちたちの目を全世界に向けさせて、わたしたちに行動を促す祈りなのです。
「水と霊による洗礼」
〈ヨハネ福音書3章22~30節〉
今朝は、先週の箇所 「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」〈ヨハネ3:5〉という言葉の説明です。
教会では、新たに生まれ変わるキリスト者になる為には水による洗礼が必要だとされています。しかし「洗礼」はそもそもキリスト教独自の儀礼ではありませんでした。
〈3:25〉に「清めのことで論争が起こった」と書かれてありますが、これはユダヤ教内の話です。洗礼はユダヤ教の大切な清めの為の儀式でありました。
バプテスマのヨハネがした洗礼にはそれまでとは違う独自性がありました。「悔い改め」と結び付けたのです。彼の洗礼運動とは、悔い改め運動でもありました。
しかし、それだけでは不十分でした。わたちたちがしっかりと神の方に向き直る(悔い改め)と同時に、神の働きが必要だったのです。
彼らの文書(死海文書)が発見されたことで有名なユダヤ教のエッセネ派は、イエスやバプテスマのヨハネが一時属していたか、影響を与えられていたと考えられています。そのエッセネ派の文書に「儀式の水は人の外側は清めても、内側の人を清めるのは神の働きによる」と書かれたものがあります。
全ての福音書が強調するのは、イエスが洗礼を受ける場面で、「聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降ってきた。すると、『あなたはわたしの愛する子、わが心にかなう者』という声が、天から聞こえた。」〈ルカ3:22、ヨハネ1:31等〉と書かれてあことです。洗礼を受けて新しく生まれ変わるときには聖霊の働きがあると強調しているのです。
最初のキリスト教会、特にエルサレム教会は、ユダヤ教が大切にしていたものを軽視することがありま
せんでした。使徒言行録に書いてあるように、ただ一点、「あなたがたが信じて待望しているメシアは、あの十字架につけられたナザレのイエスだ」と言ったことだけが違っていましたが、律法を遵守して安息日を守り、割礼を行い、会堂でユダヤ教徒と一緒に礼拝をしました。そして、清めの為の洗礼も重視したのです。
今朝の箇所は、バプテスマのヨハネのグループとイエスのグループ(キリスト教会)との関係が整理されていると同時に、新たに生まれ変わるのには、悔い改めというわたちたちの努力に加えて、神の働き、つまり聖霊の働きがあるのだと教えているのです。
「新たに生まれる」
〈ヨハネ福音書3章1~15節〉
今朝の箇所に登場するニコデモは、〈ヨハネによる福音書〉だけに登場するユダヤ人で、受難節の時に読んだように、イエスの処刑後は、使徒や他の弟子たちやアリマタヤのヨセフとともにイエスの遺体を引き取って埋葬しています。〈ヨハネ19:39〉
〈ヨハネ7:51〉では、ユダヤ人指導者たちがイエスを非難する場で「我々の律法では、罪の証が無ければ裁かないではないか」と、彼を弁護しています。
さて、今朝の箇所。ニコデモはファリサイ派で最高法院の議員でしたが、イエスに敬意を払っており、夜ひそかにイエスを訪れ、問答をします。ある註解書は、ニコデモを高い身分のためにイエスの弟子であることを公表できない勇気のない人物として解説をしていますが、そのことよりも、ヨハネ福音書の著者は、ニコデモを「イスラエルの教師=律法学者」〈3:10〉でありながら、教えの大切な点をよく理解できないでいる人物として描こうとしているのだと思います。今朝の箇所のテーマは、「新たに生まれ変わること」です。しかし、ニコデモはそのことを聞きに来たのではないようです。
「神の国を見る」〈3:3〉「永遠の命を得る」〈3:15〉は、イスラエルの教師=律法学者たちの大切なテーマでした。ニコデモはこれに興味があったのです。ところがイエスは「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われるのです。何のために勉強しているのか。生まれ変わるためにではないのか、とイエスはニコデモに言うのです。
たいていわたしたちは普段から新しく生まれ変わろうなどとは思っていません。そう思うとしたら、何か大きな失敗をして「このままではいけない」と痛感した時であろうと思います。そして、そこから立ち直るのには大変な苦痛を伴うものです。
しかし、わたしたち人間は、新たに生まれることができる存在だということも出来ると言えます。どういう風になったら人は新たに生まれ変わることができるのでしょうか。今朝の箇所は、イエスによって新しく生まれ変わることができると言っています。
「だれでも水と霊によらなければ」〈3:5〉と書かれてありますが、「霊」は先週お話したイエスの代わりに派遣された助け主・弁護者・慰め主(パラクレートス)ですね。
わたしたちは、普段気が付かないかもしれませんが、イエスに出会うことによって、霊の働きによって、日々新たに生まれ変わっているのです。
「真理の霊」
〈ヨハネ福音書14章8~17節〉
今朝の箇所にある「真理」という言葉は、ギリシャ語で「アレテー」という言葉ですが、古代ギリシャでは「アレテーとはなにか」がソクラテス、プラトン、アリストテレスなども絡んで探求されていました。勉強すればする程よく分からなくなりますが、結論は、アレテーとは「性能が良い状態」ということになると思います。例えば、スパルタ市民のアレテーは闘いに勝つこと。馬のアレテーは早く走ること等です。ソクラテスは「善く生きるとは、アレテーを身につけて生きることである」と言ったそうです。
真理という言葉は、たしかに魅力的な言葉ではありますが、ポンテオピラトがイエスに出会って、この設問に行きついたように、「真理とは何か」という設問をされるとよく分からなくなります。
ヨハネ福音書も、このギリシャ世界の大論争に参戦しています。そして、その結論は簡潔です。真理とはイエスです。真理はイエスを見れば分かる。
今朝の箇所で説明しなければならないのは、聖霊についてです。イエスが天に上り、そして、弟子たちに聖霊が降った。神の業を証するために弟子たちが「的外れ」にならないために。
〈14:26〉に「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が」という言葉がありますが、ヨハネ福音書が言う「聖霊」は「助け主」(文語訳、口語訳)、そして、「弁護者」です〈14:16、14:26、15:26、16:7〉。
それまでは、イエスが「罪人たち」に直接「あなたがたは罪人ではありませんよ」と言ってくれていた。イエスは弟子たちと共に居られた。しかし、イエスが天に昇り、今度はその役目を弟子たちが担わなければならない。
果たして自分たちの言動は、イエスから、そして神から的外れになっていないのであろうか。弟子たちにはこの不安が付き纏ったはずです。そこで、イエスは弟子たちに「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」〈14:16〉と言われます。
「弁護者」の原語は、ギリシャ語でパラクレートスですが、これは今でいう弁護士のような働きをしていたようです。弁護者(パラクレートス)がする弁護の働きとは、わたしたちの弁護を神に対して行うと
いうことです。正教会訳は「慰め主」。わたしたちに向かっては慰めを与えてくれるのがパラクレートスだという理解です。「この方は真理の霊である」〈14:17〉。
聖霊の働きによって、わたしたちは、真理に向かって突き進んでいるのです。
「天の神は聞いておられる」
〈詩編68篇6~11節〉
神は、そして、イエスの福音は、わたしたちに孤立と分断ではなく、共に生きる連帯への志しを与えてくださいます。
〈ルカ4:16以下〉にはイエスが故郷のナザレの村で宣教を開始する場面で、イザヤ書を開いたことが書かれてあります。
イエスが開いた箇所は〈イザヤ書61章〉の最初の節であって、こう書かれてあります。
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油をそそがれたからである」
並行記事の〈マタイ〉〈マルコ〉は、イエスが「あれは大工の息子ではないか」と故郷の人々に受け入れられなかったことが強調されていますが、イザヤ書は引用されていません。
おそらくルカ福音書の著者は、マルコ福音書の原型を読んだのでしょう。そして、「イエスはいったい聖書のどの箇所を読んだのだろうか?」と思ったのでしょう。ルカ福音書の著者は、イエスのガリラヤ宣教の内容を一言で言い表す為に前述のイザヤ書を選んだのでした。ルカ福音書が伝えるイエスは、貧しい者への配慮に満ちています。マタイ福音書が山上の説教でイエスが言われたと書く「心の貧しい人」ではありません。ルカ福音書のイエスはお金の無いことに注目をしているのです。
今朝の箇所には、みなしご、やもめ、孤独な人、捕らわれ人が取り上げられています。これらの人々に共通する境遇は何か。わたしは、注目すべきはこれらの人たちが、孤立して分断されてしまっていることであると思います。
これらの人たちがどんな大変な状況に在ったのか、2500年前の旧約聖書の時代について調べる必要はないと思います。孤立と分断は、今、起こっていることですから。
わたしたちは、今、感染しても自覚症状がなく、感染経路が分からないために大変な恐怖を引き起こしている新型コロナウィルスの為に苦しめられています。
「新しい生活様式」などと言っているばあいではありません。昨年度の統計で5660万人の雇用者のうち40%ほどを占める非正規雇用の方々はまっさきに職を失い、住む場所を失い、食事さえ十分に取ることができなくなり、そして、孤立しています。
昨日、一人のベトナム人青年が帰国した記事を読みました。彼は日本語を勉強するために留学生として来日し、時給900円のアルバイトで生活をしていましたが、新型コロナウィルスの為に、外国人である彼がまっさきに首を切られました。所持金が1万円ほどしかなくなり、トイレで体を洗い、高架橋の下で寝ながら、なんとか各駅停車の電車を乗り継いでベトナム大使館に行き帰国の希望を伝えました。現在の日本は、「寄留者と共に主の恵みを喜び祝え」〈申命記26:11〉と命じた旧約聖書の時代にも劣ると言うべきです。
わたしたちは「ほとんどの者が貧しい者とされている」という自覚が必要なのではないでしょうか。「わたしだけは、裕福に暮らしています」との言葉は、今自分たちがどのような状況に在るのか見えてはいない言葉なのでしょう。冒頭の〈ルカ4章〉の場面で、イエスが故郷の人々によって会堂からなぜ追い出されたのか。「貧しい人への福音」とは、自分に向けたものだとは思っていなかったからです。「わたしは貧しくもないし、目が見えないわけでもなく、牢屋に居るわけでもない」と、イエスを追い出したのでした。
日露戦争の最中に、内村鑑三が書いた「かすかなる非戦」という短文があります。
[非戦の声はかすかなり。されども、寡婦がその杖として頼む一人の男子を召集されし時に、彼女にかすかなる非戦の声揚がる。今や戦争は天下の世論なり。しかして世の文士と論客とは筆をそろえて戦争を謳歌す。この時にあたりてわれらキリストの福音を宣べ伝うる者は、天下幾多の寡婦に代わって、かすかなりといえども非戦の声を揚げざらんや。
寡婦の声は地においては聞かれず。されども天においては神を動かすの力を有す。「聖き住まいにまします神は、孤児の父、寡婦の保護者なり」〈詩篇68:5〉。しかして天は地をゆすぶるものなれば、天に達する寡婦の声はついに地におこなわるるに至る。世の論士の説に耳を傾けずして、寡婦の声に聞いて政を執る政治家は幸いなるかな。」
わたしたちが貧しさの中にあるという自覚は、共に生きようとする自覚は、イエスが選び取ったような、そして、寡婦が非戦の声を挙げるような、孤立の道であるかもしれません。
しかし、イエスは「貧しき人々は幸いである」と言っています。そして、「神の国はあなたがたのものである」と言っています〈ルカ6:20〉。貧しい人々の救済の問題ではなく、共に生きる連帯の問題であると言っているのです。神はわたしたちのかすかなる言葉を聴いてくださいます。そして地の基を震わせてくださいます。それを信じて歩みましょう。
「キリストのからだなる教会」
〈1コリント12章12~16節〉
今日は、教会歴による聖霊降臨主日です。ユダヤ教の祭儀においては、過越しの祭りから50日目にこの日がやってきて、この日を五旬祭としてお祝いしたのです。
ギリシア語で 50を意味する「ペンテコステ」という用語も使います。モーセによるユダヤ民族のエジプト脱出を記念する「過越しの祭」から 50日目に行われるユダヤ教の祝日。イエスの受難は過越しの祭りの時でした。
〈使徒言行録2:1~
42〉によれば、復活したイエスは弟子たちに「近いうちに聖霊が降る」ことを告げて〈使徒1:8〉、天に昇ります。その10日後、ユダヤ教の五旬祭の日に弟子たちとイエスの母や兄弟たち、イエスに従った女性たちが集まって祈っていると、激しい風のような音が聞こえ、天から炎のような舌が一人ひとりの上に分かれて降り、集まっていた信徒たちは聖霊に満たされ、さまざまな国の言葉で語り始めた。これが教会が始まった時の聖書の記録です。
今朝は、パウロがギリシャにあるコリントの教会の信徒たちに宛てた手紙を読み、教会とはいったいどんなところなのかを皆さんと確認したいと思います。
パウロがいう教会とは一言で言うと「キリストのからだなる教会」です。教会をからだに例えているわけです。体には違った役割をもったパーツ(部分)があります。パウロはその部分はお互いに「要らない」とは言えないと教会の人たちに説得をしています。おそらく、コリントの教会は、お互いに「おまえなど要らない」と言い合っていたのでしょう。
今朝の箇所は、「パウロのすぐれた組織論」と言われています。このパウロの組織論は教会ばかりではなく、他の組織や社会全体に適用できるものだと思います。
パウロは「ひとつの部分が苦しめばからだ全体が苦しむ」〈26節〉ような組織が教会であると言ったのですが、前述のように、これをわたしたちが属する教会以外の組織や社会に適用して考える必要があると思います。
わたしたちが言う「隣人」とは教会員だけを言うのではありません。日本社会更には世界全体のことを視野に入れて、そこが「ひとつの部分が苦しめばからだ全体が苦しむ」ような組織であるか、検証する必要があると思います。
〈使徒言行録2章〉にある教会が始まった時の記事は、まさに世界全体が視野に入っています。ユダヤ教の大切なお祭りである五旬祭にはディアスポラ(離散の民)と呼ばれる世界中に散らばるユダヤ人たちがエルサレムに集まっていたのでした。世界中から集まるのですから言葉も違います。〈4節〉には「ほかの国々の言葉で語り始めた」と書かれてあります。ところが、それらの人たちが一致して最初の教会を作ったのです。聖霊の働きとは、みんなを同じようにするということではなく、多様性はそのままに認めながら、皆を一致させるという働きです。何が一致したのでしょうか。イエスはメシア(救い主)であるという信仰が一致した、一人一人にキリストに生かされている喜びがあったのです。
今朝の箇所は原語の多様性ではなく、からだのパーツの働きの多様性に注目をしています。目があり口があり、手があり、足があって初めてひとつのからだではないか、と言っているのです。
そして、ここがパウロの組織論のとてもすぐれたところだと思うのですが、体の中ではほかよりも弱く見える部分がかえって必要だ〈22節〉と言うのです。
この件は、具体的に言うと「コリントの町にある異教の神殿に献納された肉を食べるか、食べないか」の問題だったようですが、その問題は置いといて、パウロは要するに「教会においては信仰の弱い人はか
えって必要だ」と言っているのです。信仰が強ければ、この世の束縛から解き放たれて自由であろう、しかし、実際、その束縛から自由ではなく、その点について拘っている人がいるのだから、その人の声を聞けと言っているのです。8章を読むと、ここで言う「強い人、つまり、異教の神殿に備えられた肉だろうが肉は単なる肉、食べて構わないと思っている人」は「お前には知識がない」と「弱い人」を馬鹿にしていたようです。〈8:7以下〉パウロは、キリストはそのような人たちの為に死なれたのだと言い、〈12:1~3〉「わたしも肉は食べない」と態度を決するのです。〈8:13〉
教会は面白い場所です。いろいろな意見の人が居ますが、聖霊の働きによって一致を見ているのです。
「私のもの、彼のもの」
〈雅歌2章10~17節〉
牧師になって〈雅歌〉を礼拝説教で取り上げるのは始めてです。理由は説教の作りようがないからです。
註解書は、「そもそも雅歌が聖書の中に含まれていること自体が緊急に説明を要する」「雅歌は、釈義上の離れ業を試す独特のチャンスを提供してくれる」と書いてありますが、会議や集会が中止されて時間の余裕ができたので、難問中の難問に取り組もうと思ったわけです。
読んでみてお分かりにように、(20分もあれば雅歌の全部を読むことができると思います)〈雅歌〉に書かれてあることは全く非宗教的です。〈ヨブ記〉のような「なぜ正しい人が災難にあうのか」という深刻なテーマを見出すことはできず、〈箴言〉の「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ」〈6:6〉というような気の利いた格言も見当たりません。いきなり「どうかあの方が、その口づけをもって、わたしにくちづけしてくださるように」というようなダイレクトな言葉で始まるこの雅歌は、恋人たちが二人きりになるための場所を求め、欲求不満になり、二日酔いになってしまうというような記述が続き、心当たりがあって身につまされるのですが「どうしてこれが聖書に採用されたのだろうか」と思ってしまいます。 〈雅歌〉は、著作年代や作者が誰なのかは不明ですが、恋人同士の愛を歌う抒情詩のコレクションだったと言えます。そして、皆に歌い継がれていたのでしょう。カラオケで讃美歌を歌う人はあまりいませんが、演歌は人気であるように。
しかし、単に「皆に人気があった」というだけでは、正典(信者が従うべき基準として確立されている文書)となった理由にはなりません。
なぜ雅歌が聖書の中に含まれるようになったのか
この設問は、「ここに登場する恋人たちとは誰なのか」という設問でもあります。
さまざまな解釈が試みられてきました。
ユダヤ教の釈義においては、伝統的に、恋人たちの情事で起きた出来事をイスラエルの歴史と結びつけようとしてきました。
中世の宗教改革期の聖書註解も「二人の恋人たちとは神とイスラエルだ」と解釈をしてきました。寓意的解釈(アレゴリー)です。この二人は、神とイスラエルが譬えられていると。
しかし、雅歌に登場する恋人たちを、神とイスラエルを譬えていると解釈して読むのは、ちょっと無理が生じます。
「神とイスラエル(わたしたち人間)との関係は、恋人同士の関係のようなものである」と解釈して、そう読んでしまって良いのでしょうか。
この問題にアンデルス・ニーグレンの作業を紹介するのは無駄ではないと思います。
A.ニーグレンは『アガペーとエロス』(1936)という本を書き、日本語で「愛」と訳されるアガペーとエロスという語について、アガペーは神の愛であり、エロスは人間同士の愛であると言い、アガペーとは無償のものであり、エロスとは求める愛であると書いています。
雅歌に描かれる愛は求める愛ではないでしょうか。期待し、反応がなければ諦めるような愛、恋人同士の関係でしばしば生じる失恋は、関係の断絶を意味します。
ところが、アガペーという言葉で示される神からの愛は、相手の反応がなくとも期待しつづけます。こちらから関係を断ち切ろうとしても関係を保ち続けようとします。
ゲラサというところで悪霊にとりつかれた人がイエスに向かって「かまわないでくれ」〈マルコ5:7〉と言っても、イエスは彼と関係を取り続けようとする。それが神の愛であります。
最後に、なぜ雅歌が正典として採用されたのかについてのわたしの解釈を述べたいと思いますが、わたしは正典採用の理由に「神の無関心」を見出したいと思います。
フランスのシモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)。哲学者としての彼女は、生前はまったく無名でした。彼女はイギリスで「ドイツに占領されているフランスの子どもたちは今リンゴさえ食べることができない」と言って食事をとることをせず、第2次世界大戦中に34歳で亡くなりました。それくらい彼女は弱者に対する同調を徹底した人でした。
彼女は「本物の愛とは、なにがしかその人に対する無関心を含む」という言葉を残しています。人間同士の愛について語っているかのようで、彼女は神の愛についてこう語っているのです。恋人同士の情愛は、神の無関心という愛の中に育まれて、とても大切なものなのではないでしょうか。わたしは雅歌の正典採用の理由はここにあったのではないかと思うのです。
「真理はあなたがたに自由を与える」
〈ヨハネ福音書8章31~32節〉
この言葉は、なんともいい言葉だなあと思います。大学の図書館の壁や入り口になどにもよく見られる言葉です。永田町1丁目にある国立国会図書館のロビーの梁にもこの言葉が彫られています。
1968年に今の国立国会図書館が建設された時に参議院議員であった羽仁五郎が提案して掘られた言葉のようですが、ここには、聖書の言葉をちょっと変えて「真理がわれらを自由にする」と彫られています。その横にはギリシャ語で同じ言葉が彫られてあるのですが、不思議なことにギリシャ語のほうは「われら」という言葉が、聖書に忠実に「あなたがたに」と彫られています。
それくらい有名な言葉ですが、「真理」という言葉を今朝の箇所の文脈から読み取ると、イエスを指していることが分かります。
昔の神学生の必読書であった浅野順一の『キリスト教概論』という本には、19世紀に活躍したデンマークの哲学者ゼーレン・キルケゴール(1813~1855)の紹介が延々とされていて、「キルケゴールは、真理には次元の相違があるということを見抜いた」と書かれてあります。
「次元の相違」とは何でしょうか。この本の説明は魅力的です。この本では、16~17世紀に活躍した二
人のイタリア人、天文学者のガリレオ・ガリレイと修道士のジョルダー・ブルーノが取り上げられていま
す。
ガリレオ・ガリレイは、ご存知のように地球は太陽の周りを回っていると説く地動説を主張しますが、カトリック教会によって異端とされ、1633年にその説を放棄します。
一方ジョルダー・ブルーノは、コペルニクスの地動説(1542年)を擁護し、1600年に異端判決を受けますが、彼はその説を放棄しませんでした。彼はローマ市内の広場で処刑されます。
地動説を擁護した二人。この二人の違いは何でしょうか。
わたしは、二人の違いとは、G.ガリレイが主張したものは命を懸ける必要がない客観的真理であり、J.ブルーノが主張したものは命を、あるいは生き様を懸けて初めて示すことができる主体的真理であった。この違いだと思うのです。
S.キルケゴールは「主体性こそ真理である」と言っているのですが、そこには彼の事情があります。裕福な暮らしを楽しむ上層階級を形成するデンマーク国教会への痛烈な批判が込められているのです。彼の哲学の魅力的なところは、ここです。彼の哲学と生涯は、弱い立場への同調と抑圧への嫌悪に満ちています。
G.ガリレイはカトリック教会とは闘いませんでした。カトリック教会がなんと言おうと地球は太陽の周りを回っているからです。
J.ブルーノはカトリック教会とたたかう必要がありました。処刑され、負け戦で真理を示そうとしたのです。イエスの十字架もそうであると思いますが、わたしは負け戦で示される真理というものがあるように思うのです。
マルチン・ルターは1520年に「宗教改革の3大文書」と呼ばれる本のひとつである『キリスト者の自
由』という本を書きました。
その最初の1ページにルターはこう書いています。
「わたしは次のような二つの命題を掲げたい。
(1) キリスト者は、万物を支配する自由な君主であって誰にも従属しない。
(2) キリスト者は、万物に奉仕する僕であって誰にも従属する」
わたしは、(1)にある「自由」とはわたしたちの思想と精神を指していると思います。
そして、(2)にある「奉仕」とは、わたしたちの行いを指していると思います。Mルターは、本の中で「奉仕」について「天の父がキリストにより、わたしに無報酬で助けをもたらしているように(中略)わたしたちは隣人を助け、おのおの他人に対してはキリストとなるべきである」と書いています。
ジョルダー・ブルーノは、ヨーロッパ中の大学で、天文学・数学・哲学を講じて思想と精神の自由に殉じた大学者であったとも言えますが、結局は、修道士として、その生涯は万人に仕えるイエス・キリストに倣う生涯であったと思うのです。
イエスはわたしたちと共に在って、誰にも従属しない精神と思想の自由への確信を与えてくださいます。その一方、イエスはわたしたちに、全ての者に仕える道こそが神の救いを信じる者の道であることを示されるのです。
「あるものを数える」
〈マタイ福音書5章13~16節〉
先週は、使徒と教会の使命はわたしたちに「ないもの」、すなわち、貧困と嘆きと望み、期待と渇求によってその使命が果たされるという話をしましたが、今日は「あるものを数える」という題でお話をしたいと思います。
みなさんが「ああ、神様感謝します」と思うときは、どんな時でしょうか。交通事故に遭いそうになって事故に遭わずに済んだ時、「助かったぁ」と思い「神様感謝します」と言うかもしれません。でも、何か特別なことがあった時にではなく、何も特別なことが無い時に、普段通りの毎日に、神に感謝することがたくさんあるように思うのです。
わたしは4年前、63歳の時に心筋梗塞という病気になりました。夜中に突然、バットで胸を叩かれたような痛みがあり、救急車で病院に運ばれました。
わたしの毎日のお祈りは「今日も命を与えられて感謝いたします」という言葉で始まります。
これは、子どもの時からの習慣のようなお祈りの言葉でした。
心筋梗塞が起こって2週間後、無事に退院してから、「今日も命を与えられて感謝いたします」というお祈りの言葉はとても真剣なものになりました。
毎朝、目が覚めると「ああ、今日も生きて一日を始めることができる。ありがとう」と思うようになったのです。
しかし、よく考えてみれば、わたしは心筋梗塞になる前の63年間ずっと心臓は働き続けていて、ずっと
神に命を与えられてきたのです。63年間、そのことを「本当にありがたい」と神に感謝していなかっただけの話です。神に与えられているものを数えて、それを感謝しましょう。感謝すべきものは限りなくたくさんあるはずです。
〈マタイ福音書14章13節以下〉にイエスが5千人に給食する物語があります。
イエスと弟子たちが人里離れたところにいると、そこにたくさんの人々がイエスの話を聞こうと集まってきます。
集会をしているうちに日が暮れてきました。弟子たちはイエスに言います。
「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください」。
ところが、イエスは弟子たちに「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と言われます。
弟子たちは答えます。「ここにはパン5つと魚2匹しかありません」。
イエスは「それをここに持って来なさい」と言います。
弟子たちは「しかありません」と言うのですが、イエスは「あるではないか」と言われるのです。
弟子たちが「男だけで5千人の集会にパン5つと魚2匹ではどうしようもない」と思うのはあたりまえのように思います。しかし、イエスはそのパン5つと魚2匹を祝福して、群衆に与えます。〈20節〉には「すべての人が食べて満腹した」と書いてあります。
あなたにあるもの、即ち神に与えられているものを数えてみましょう。
「こんなものではどうしようもない」と思われるかも知れません。
しかし、神は、あなたが「こんなものではどうしようもない」と思っているものを祝福して用いてくださ
います。そして、神はあなたが「こんなものではどうしようもない」と思っているものを用いて、即ち、あなたを用いて皆を満腹させられるのです。すばらしく充実した人生だと思いませんか?
クリスチャンとして歩む時に、わたしたちは、この社会の常識とぶつかってしまうかもしれません。みんなが「当たり前だ」と思っている常識をひっくり返そうとすれば、ずいぶん勇気が必要です。でも、イエスの福音は、この社会をいろいろと解釈する為のものではありません。イエスの福音は、この社会を新しく変革する力を持っているのです。
「わたしは勇気がないからダメだ」と思う必要はありません。「この日本社会でクリスチャンはたった1%しか居ない。がんばってもこの社会を変えられない」と思う必要もありません。
イエスは〈マタイ福音書5章13節~16節〉で「あなたがたは地の塩。世の光である」と言われています。
「がんばって、地の塩、世の光になりなさい」と言っているのではありません。わたしたちがイエスを信じて歩んでいること、それ自体が、わたしたちの社会においてぴりっと味を利かせる、世の中を明るく照らす存在なのです。
「キリストが建てられる教会」
〈ローマ信徒への手紙1章1~7節〉
毎年、教会総会の直後の主日礼拝説教は、総会で決めた年間標語の聖書箇所の解説をしていますが、これについては、説教の最後に触れます。
今朝は、パウロがローマの教会に書いた手紙の冒頭を読みます。ローマの教会は、歴史家のスエトニウスが、A.D.49頃にはローマにキリスト者が居たと書いています。
パウロはどこで、いつ頃ローマの教会に手紙を書いたのか。
〈使徒言行録20章〉に「パウロは(中略)別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、(中略)ギリシャに来て、そこに3ヶ月を過ごした」〈1~3節〉と書いてありますが、「ギリシャ」とはコリントの街のことでしょう、パウロがローマの教会に手紙を書いたのは、この時、A.D.56年から57年初めまでの3ヶ月間コリント教会にいるときに手紙を書いたと考えて良いと思います。
さて、今朝の箇所。パウロの手紙は当時の軍事郵便の形式、冒頭に○○発、〇〇宛と書く形式を持っていますが、発信人は単に「パウロから」とは書かずにずいぶん詳細に自己紹介されています。コリントやエペソ、ガラテアの教会とは違って、ローマの教会はパウロが建てた教会ではありませんでした。それで詳細な自己紹介をしているのでしょう。
パウロは、自分は使徒であると自己紹介をしています。「使徒」という言葉は、後にイエスの12弟子に
限って用いられるようになった用語ですが、イエスに会ったことはなく、12人の弟子の一人でもないパウロに対して「使徒ではない」という非難があったのでしょう。
パウロはそれを打ち消すように「自分には、誰からでもなく、ただ神から与えられた使徒としての使命がある」とここで書いているのです。
K.バルトは1921年に『ロマ書講解』として知られる註解書を書いています。彼ははこの本で、パウロはあるものによってではなく、ないものによって使徒の役目を果たそうとしていると書いています。
「むしろ彼が具有しないものによって、彼の貧困によって、彼の嘆きと望みないしは期待と渇求によって、すなわち彼の中にあって彼の視界と彼の力とを超える、ある他者を指向するすべてのものによって、益しうるのである。使徒というものはプラスの人間では なく、マイナスの人間であり、そのような空洞を露呈する人間である」
(K.バルト 『ローマ書』 吉村善夫訳 p.42)
この言葉は、40年前、わたしが学校を卒業して牧師として歩みはじめた頃、心に刻んだ言葉でありますが、わたしは、この言葉は教会の使命-教会がこの世にどのような役割を果たすのかについても当てはまる言葉だと、今は、そう思っています。
教会は、確かに、お金があり、りっぱな建物があり、印刷機等の設備が整い、優秀な人材が揃っていることは、ありがたいことかも知れませんが、教会は何によってその使命が果たされるのかというと、わたしたちに「ないもの」、すなわち、バルトの言う貧困と嘆きと望み、期待と渇求によってその使命が果たされるのだと思います。
教会は、「彼の中にあって、彼の視界と彼の力とを超える力によって」、つまり、神の言葉と主イエ
ス・キリストの福音によって、その使命を全うすることができます。
3週前の礼拝説教で、牧師のディートリッヒ・ボンヘッファーのことを紹介しました。彼は「教会は、これまで暴走する車に傷つけられた人に包帯を巻いてきたが、今や、暴走する車そのものを止めなければならない」と本の中で書いていますが、A.ヒトラー暗殺計画に加わり、逮捕されます。彼は、4月8日にそれまで収監されていたシェーンベルクの小学校の教室からフロッセンブュルク強制収容所に移送されることになり、その夜に急遽開かれた臨時法廷で死刑判決を受け、次の日の早朝に処刑されるのですが、フロッ
センブュルク強制収容所に移送される時、一緒に投獄されていたイギリス人捕虜ペイン・ベストに、最後の言葉を残しています。
この言葉については、いろいろな訳がありますが、D.ボンヘッファーの言葉に最も忠実だと思われるのは次の簡単な言葉です。「これが最後です。わたしには命の始まりです」(This is the end. For me the beginning of life)
D.ボンヘッファーが「命」という言葉で伝えたかったことは、彼の貧困と嘆きと望み、期待と渇求、これに応えてくださる神であったと思います。
パウロも、使徒として伝えたかったことは、自分自身ではなく、彼が死んでもなお残る神の約束の言葉、イエスの福音であったと思うのです。
「イエスとその愛する弟子」
〈ヨハネ福音書21章20~25節〉
今朝も先週に続いてヨハネ福音書の21章を読みます。先週は簡単に「ヨハネ福音書は20章で完結し、21章は付録みたいなもの」と言って終わりましたが、21章のことをもう少し丁寧に説明すると、21章の著者は20章までの著者とは違う人です。いつ頃21章が付け加えられたのか、わかりませんが、その内容は、ペトロに対するイエスからの牧会の命令となっています。
21章には、イエスとペトロそしてもう一人、不思議な人物が登場します。「イエスの愛しておられた弟子」〈21:7、21:20〉と書かれている人です。「イエスの愛しておられた弟子」は共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)には登場しません。ヨハネ福音書にだけ、それもエルサレムの場面から登場する人です。一体誰なのでしょうか?
一般的にはこの「イエスの愛しておられた弟子」は、イエスの弟子ヨハネだと考えられています。
共観福音書を読めば、ペトロ、ヨハネ、ヤコブの3人は、しばしば重要な場面でイエスに同行しています。例えば、〈マルコ9:2〉のイエスの変貌の記事、〈ルカ22:8〉のイエスが過越しの食事をする部屋を用意させる記事、〈ルカ8:51〉のイエスが会堂長ヤイロの娘を蘇らせる記事などです。
ところが、ヨハネ福音書には、この弟子ナンバー3の一人のようなヨハネの名前が登場しないのです。先週の箇所においても「ゼベタイの子たち(つまり、ヨハネとヤコブ)」〈21:2〉としか紹介されません。「イエスの愛しておられた弟子は、イエスの弟子ヨハネである」と考えられる第一の理由はこれです。ヨハネと書く代わりに「イエスの愛しておられた弟子」と書いたという訳です。
もう少し、「イエスの愛しておられた弟子」がどう書かれているのか見てみましょう。
〈21:15~19〉では、ペトロが「わたしの小羊を飼いなさい」と教会の指導を託されますが、この「イエスの愛しておられた弟子」には指導を託されてはいません。
〈19:27〉では、イエスからイエスの母マリアを引き取って世話をするように託されています。
〈13:23,25〉では、最後の晩餐の時イエスのすぐ隣で席に着き、「イエスの胸元によりかかって」と書かれています。
そして、〈18:15〉ではイエスが大祭司のもとに連行された時、仲間として追及される危険がある大祭司の屋敷の庭に入ることが出来、〈19:26〉イエスの十字架の真下に居ることができています。
わたしは、この「イエスの愛しておられた弟子」とは、女性なのではないかと思います。
先程、「イエスの愛しておられた弟子はヨハネである」との解釈を紹介しましたが、「ヨハネではない」とする説もあります。主なものだけで9つほどありますが、その中のひとつに「イエスの愛しておられた弟子はマグダラのマリヤである」という説があります。
この説を唱えるのは、2003年にダン・ブラウンが書いた推理小説の「ダヴィンチ・コード」が最初では
ありません。有名な15世紀末の壁画「最後の晩餐」の絵を見ると、イエスの右隣には女性が描かれているようにも見えます。レオナルド・ダヴィンチはこの弟子がマグダラのマリヤであると解釈していたのかも知れませんが、そう解釈したのは彼が最初でもないようです。
さて、わたしは、21章はわたしたちが信仰者として、どのようにその道を歩んでいくべきかについて気付かされることがいくつかあるように思います。
ひとつは今朝の箇所の前の段落に書かれてあることですが、イエスがペトロに「行きたくないところに連れていかれる」〈21:20〉と言われる場面です。ペトロがこれからどんな道を歩むのかイエスが予告する箇所です。
わたしは「行きたくないなあ」と思いながらそれが神様に示された道だと信じてそちらの道を選び、後で「この道で良かったのだ」と神様に感謝するという経験が何度かありました。
もうひとつは〈21:20〉でペトロが「イエスが愛しておられた弟子」のことが気になる場面です。
ペトロが「主よ、この人はどうなるのでしょうか?」と尋ねる場面です〈21:21〉。身を案じるというよりは、身近であるが故の確執が感じられるペトロの言葉です。
すると、イエスは「それはあなたに関係ない」とペトロに応えます〈21:22〉。
つまり、イエスは「あなたは、主があなたに示した道を歩めばそれで良い」と言われるのです。
「弟子たちに会いに来たイエス」
〈ヨハネ福音書21章 1~14節〉
今朝の箇所を読まれて別の聖書の箇所を思い出される方は多いと思います。
そうです。イエスがペトロたちを弟子とする場面です。一晩中漁をして、魚が一匹も取れずに岸に戻って来たペトロにイエスが「もう一度沖にこぎ出だして、漁をしなさい」と言わる場面です。ペトロはベテラン漁師です。一晩漁をして収獲がなかったのですから、ひよっこりやって来たイエスの言葉を無視してもよかったのです。しかしペトロは「お言葉ですから」と言ってイエスの言われるように舟の右側に網を下ろします。そうしたら、なんと大漁であったという話です。そして、イエスは言われます。「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」〈マタイ5:19〉。つまり、〈マタイ福音書〉の最後の場面の言葉でいうと「だから、あなたがたは、行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」〈28:19〉と言われます。
イエスがペトロたちを弟子とする場面は、たいてい福音書のはじめに書かれています。マタイ福音書では〈4章18~22節〉マルコ福音書では〈1章16~20節〉、ルカ福音書では〈5章1~11節〉
ところが、ヨハネ福音書ではイエスが十字架につけられて葬られた、その後の話となっています。ヨハネ福音書は今朝の箇所の前〈20章〉で一端閉じてますから、付録というべき箇所にあるのです。
ガリラヤ。ガリラヤ湖畔はイエスの弟子たちの故郷でした。
イエスの十字架刑を目の当たりにして、「自分たちも裁判にかけられ殺されるかもしれない」と思った弟子たちが「逃げて安全に身を隠す場所はどこか」と考えた時に、当然、故郷のガリラヤを思いついたでしょう。過越しの祭りを終えた巡礼者たちの列に紛れて弟子たちは故郷に帰ったのでしょう。(弟子たちの故郷帰還を疑う学者たちもいますが、わたしは素直に聖書に書いてある通りとしたいと思います)
ガリラヤに戻った弟子たち。彼らにとって、ガリラヤは逃げて身を隠すだけの場所だけであったかというとわたしは違うと思います。
わたしは、今朝の場面に弟子たちの宣教活動の熱情、あるいは決意を感じるのです。
たしかに暫くは、イエスの死は弟子たちにとって「不可解な死」(大貫隆)であったでしょう。しかし、遠藤周作は『キリストの誕生』という本の中で「母を裏切り続けた子が、その死んだ母をひたすら追慕するように」と表現していますが、イエスと共に歩き巡ったガリラヤで、イエスに出会い、彼のことを覚えている人たちに、エルサレムでの出来事を話たくなったのだと思います。エルサレムで自分たちが見捨てたイエスのことを、話したくなった。イエスを慕う思いが、彼らには残っていたのです。
弟子たちは故郷の人たちに「おれたちはすごかった」というような自慢話をしたでしょうか。
ここが大切なところだと思うのですが、弟子たちは自分たちのエルサレムでの様子を故郷の人たちにつつみ隠さず話したのだと思います。イエスの十字架の時に、わたしたちはまったく良いところがなかった。無力であったと話したのだと思います。
ところが、イエスは十字架につけられて死にて葬らた後に三日目に蘇られた。
弟子たちの話の最後は、神の業を、無力なわたしたちに働かれる神の業を、証言して終わったのだと思います。
弟子たちが故郷の人々にエルサレムでの出来事を話す場面、これは他の福音書においては冒頭に登場する「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」〈マタイ5:19〉との言葉が実現した場面です。「だから、あなたがたは、行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」〈28:19〉とマタイ福音書の最後の場面でイエスが命じられた言葉が実現した場面です。
およそ1年間くらいだと思いますがイエスに従ってガリラヤで宣教活動を続け、弟子たちは意気揚々とエルサレムに向かった。しばらくして彼らはまたガリラヤに戻って来た。しかし、リーダーのイエスは彼らの中には居ない。
この時、弟子たちは「不可解であったイエスの死」ついて、劇的な理解を示します。
「いや、イエスはわたしたちと今も共に居られる」と、弟子たちは故郷の人たちに言ったのでしょう。
このことが、イエスが再び弟子たちに会いに来られた話に表現されているのだと思います。弟子たちが立ち直り、神の国を宣べ伝える業が再開されたのです。
「黄泉に下り」
〈ヨハネ福音書19章38~42節〉
使徒信条には「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、黄泉に下り、三日目に死人のうちよりよみがえり」と告白されています。黄泉とは、『古事記』『日本書紀』に出てくる言葉ですが、
新約聖書中のギリシャ語は「ハデス」、旧約聖書中のヘブライ語は「シェオル」(Sheol)、漢文訳の聖書では「黄泉」と訳し、口語訳聖書も「黄泉」、新共同訳聖書では「陰府(よみ)」と訳されています。「ハデス」「シェオル」は、死人が行く地下にある場所と考えられていました。「地獄」(ギリシャ語でゲヘナ)とは違います。
使徒信条にある「よみに下り」という告白の言葉は、イエスの「わたしたちと同じ人間であること」が徹底して告白されています。
弟子たちは、神が十字架のイエスを最後の最後に救われると思ったかもしれません。「この世を救うメシアであるならば、神はイエスを放ってはおかれないだろう」と。しかし、神は沈黙し、何事も起こりませんでした。
4つの福音書に記録される受難物語は、ガリラヤの宣教活動や奇蹟物語とは真逆に、無力であるイエスを描こうとしています。しかし、ガリラヤの宣教活動や奇蹟物語にではなく、受難物語に登場するイエスこそが、わたしたちの現実に近いのではないでしょうか。
午後3時になってイエスは無力なるまま十字架の上で死なれます。福音書記者は、わたしたちに向き直り、こう言いたいのでしょう。汝人間たちよ。己の無力なることを知れ。イエスが黄泉に下った意味はここにあるのではないでしょうか。
わたしたちは、なにがしか有力であることを欲しているものです。すくなくともそのように見せたいものです。しかし、神は、このわたしたちの無力さに応えてくださるものなのではないでしょうか。今朝の箇所に登場するアリマタヤのヨセフとニコデモは、それを知っているひとだったのでしょう。アリマタヤのヨセフは「金持ち」〈マタイ27:57〉「身分の高い議員」〈マルコ23:50~51〉と書かれています。ニコデモは「ファリサイ派のサンヘドリンの議員」〈ヨハネ3:1~21、7:51〉 と書かかれています。
犯罪人の死体は、葬ることが許されず、そのままに放置されるべきものでしたが、この二人はたしかにこの世で有力であっても、神の前では無力であることを良く分かっていた人たちだったと思います。わたしたちの無力さに働かれる神の業を讃美しましょう。